公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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今読んでる 『原節子の真実』 石井妙子

2017-10-17 08:20:07 | 今読んでる本
石井妙子には『おそめ』以来取材ドキュメントでは期待しているので昨年3月発行で読み逃していた『原節子の真実』新潮ドキュメント賞受賞作を読んでいる。おそめの上羽秀とは違い本人の言葉が聞き取れていない。どう描くのか興味深い。



一昨年の号外記事だが、今生きている日本人にとっては映画記号に過ぎない原節子にどれほどのご本人と時代の息吹が蘇るか楽しみにしている。日独合作映画『新しき土』周辺の国際緊張もゾルゲの登場で高まってくるあたり、非常に良いドキュメントになってきたあたりまで読んだ。長谷川泰子も忘れられた存在だが、歴史とともに生きた女性として、上羽秀(おそめ)、長谷川泰子、会田昌江(原節子)は記憶にとどめるべき女性たちである。三人とも映画に出ている。映像のある歴史だ。



『黒澤は 、なんとしても節子を使いたかった 。底の知れない姿を現していく魔性の女 。それは節子のような聖性をもつ女優が演じてこそ 、はじめて表現できると考えたからだ 。節子もまた 、脚本を読んで出演を望んだ 。体調不良を押してもと考えたようである 。もともとダイナミックなスト ーリ ー性のある作品を好んだ節子は 、「我 」の強い 、気性の激しい女を力いっぱい演じてみたいと切望していた 。まさに 、節子の希望にかなったヒロインだった 。ところが 、美術監督 ・下河原友雄の回想によれば 、義兄の熊谷が 「原節子のイメ ージが壊れる 」と強硬に反対して実現しなかったという 。それだけが理由ではないだろうが 、主演は大映の京マチ子に決まった 。節子が出ていれば 、間違いなく代表作となっていただろう 。』



原節子でベネチア映画祭を『羅生門』を獲れたかどうかはわからないが、出品していれば確実に原節子の運命は変わっていたろう。黒澤映画の常連となれば女を軸とした大作は黒澤映画も変えていただろう。徴兵を免れていた黒澤監督を以前から不思議に思っていた。謎が解けた。熊谷久虎の東宝追放も自主的公職追放であったことがよくわかる。黒澤は戦中徴兵免除者でありかつ敗戦利得者だった。


渡部昇一の言葉
『自らが卑怯であることを認めたくないから、偽善的な「反戦平和」や「友好第一」などといった衣装をまといたがるのです。私は「戦前の反省」などと言いながら、戦前戦中の日本の指導者を一方的に非難する人たちは、日本の敗戦によって利益を得た「敗戦利得者」だと思っています。

先の大戦を遂行するに当たって日本の目的が「主として自衛のためであった」というマッカーサー証言が戦後日本国内で普及しないのは、独立回復後も日本の敗戦によって利益を得た人たちがその構造を維持しようとしたからだと考えます。

とくに、公職追放が「敗戦利得者」を大勢生み出しました。公職追放は、「日本人民を戦争に導いた軍国主義者の権力および影響力を永遠に排除する」という建前で行われましたが、追放の選別はGHQの恣意で、最初は戦争犯罪人、陸海軍人、超国家主義者・愛国者、政治指導者といった範囲だったのが、経済界、言論界、さらには地方にも及び、本来の意味で公職ではない民間企業、民間団体からのパージも行われました。その隙間(すきま)を埋めた人は、大きな利益を手にしたわけです。』
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