公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

天才の働き

2011-01-01 00:00:00 | 日記
「人が抜きん出ることのできるものは一つか、せいぜい二つか三つの分野である。よく出来るはずのことを見つけ、実際にそれを行わせなければならない」

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ドラッカーは天才を活用したマネージメントはあり得ないと考えていたふしがある。
何故なら最も少ない資源に依存した経営ほど危険な選択は無いと考えていた可能性が高い。
イノベーションには天才の活用も含まれていなければならない。
無償の働きの最も進んだ形が天才の仕事であろう。マンハッタン計画におけるノイマンの働きが典型的な無償の働きの実例であり、ノイマン以上に社会を変えた知識労働者はいない。

何か起きていたブダペスト
 二〇世紀初頭のハンガリー王国の小麦粉輸出は世界一を誇り、ブダペストの経済成長率はヨーロッパ第一位だった。パリのシャンゼリゼをモデルに作られたアンドラーシ通りの地下には、ヨーロッパ大陸初の地下鉄網が張り巡らされた。  当初ロンドンの地下鉄を走っていたのは蒸気機関車で、ブダペストの電気式地下鉄は世界でも類を見ない光景だった。街並みには六〇〇を超えるカフェがあり、ヨーロッパ最高峰の高等教育で知られるギムナジウムが三校もあった。

アメリカ合衆国でノイマンと一緒に「マンハッタン計画」を推進したレオ・シラード(一八九八年生)、ユージン・ウィグナー(一九〇二年生)そして「水爆の父」エドワード・テラー(一九〇八年生)という三人の物理学者、さらに「暗黙知」で知られる哲学者マイケル・ポランニー(一八九一年生)、「ホログラフィー」を発明した電子工学者デーネシュ・ガーボル(一九〇〇年生)、「放浪の天才数学者」ポール・エルデシュ(一九一三年生)も、オーストリア・ハンガリー二重帝国時代のブダペストで生まれ、三校のギムナジウムどれかの卒業生である。



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