公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

切り取りダイジェスト 江戸時代とは何だったのか

2023-07-25 08:23:00 | 意見スクラップ集

日本人は明治維新で市井の公共に官僚制度=中央集権の侵食を受けて【向こう三軒両隣の市井の徳目】と規範継承を失った。

写真はシーボルトの娘楠本高子もちろん母は楠本イネ

当時の言葉では江戸の習慣は旧弊と言われた。少なくともこれは江戸の破壊であり進歩ではなかった。戦後はその破壊装置である修身授業まで失った。

 
今読んでる『江戸時代とはなにか―日本史上の近世と近代 』尾藤 正英 - 公開メモ    DXM 1977  ヒストリエ
 

今読んでる『江戸時代とはなにか―日本史上の近世と近代 』尾藤 正英 - 公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

江戸時代とはなにか―日本史上の近世と近代著者:尾藤正英出版社:岩波書店装丁:文庫(282ページ)発売日:2006-04-14役による安定社会で天皇機関説まで組む伏せたのはやり...

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梶田隆章さん

同学年であることに今更気づく


Born March 9, 1959, in a farmhouse in Higashimatsuyama City, Saitama Prefecture. Although he was not particularly interested in nature from childhood, he loved to read and once told his parents that he wanted to become Dr. Ochanomizu.He preferred thinking to memorization, and in his high school classes he was interested in physics, biology, world history, and Japanese history, with a particular fondness for geology. His weak subjects were ancient Japanese and Chinese literature. He was about 150 centimeters tall in junior high school, but grew to over 180 centimeters after entering high school.He majored in physics at Saitama University and became interested in elementary particles. Although he did not study much because he was not confident that he could become a researcher, he decided to enter graduate school in his third year of college.His grades were top class in elementary and junior high school, even after studying overnight, but were in the bottom half of the class at his high school, a preparatory school in the prefecture. During his university years, he was so absorbed in the Japanese archery club activities he had continued since high school that he could not solve the graduate school entrance exam at all. He and his wife were both vice captains of the Saitama University Kyudo Club in their third year. He became serious about his research in graduate school.

Educational Background

After graduating from the Faculty of Science at Saitama University, he entered the Graduate School of Science at the University of Tokyo. He joined Masatoshi Koshiba's laboratory and began working on cosmic ray research under Koshiba and Yoji Totsuka. Although he did not have a particularly strong interest in elementary particles, he chose the laboratory because he was "somehow interested in it.

塾に行く必要はない

――両親の教育方針や自分の教育方針はありますか。

両親についてはあんまり覚えがないです。「勉強しろ」とは言われたけど、それ以上のことは特にありませんでした。成績についても言われませんでした。高校受験についてもなかったですね。そんなに選択肢がなく、家を出て川越に行くか、熊谷にある高校に行くかの違いぐらいだったので。深刻な相談はしませんでした。

私の子どもは娘と息子です。子どもが大きくなる間、二十数年ずっと単身赴任だったので教育にはほとんどノータッチでした。土日が空いてれば必ず自宅に戻っていましたが、土曜日に出張が入ることもあるので、たぶん半分ぐらいだったと思います。特に教育方針ということもなく、進路などで深刻な相談もされなかったし、アドバイスもしてないと思います。

教育方針をあえて言えば、塾に通わせなくてもいいということです。実際に2人とも行っていません。どうしても行きたいなら行ってもいいですが、本人たちも行きたいという感じではなかったようです。

――塾に行かない、行かせないのはなぜでしょうか。

今の教育産業に対する不信感があります。要はテストの点数を取らせることを目的とした産業じゃないですか。そのようなこともわからないわけではありませんが、そのような教育で本当にいいのかという思いはあります。

高校になると大学に合格するための勉強になってしまって、ほとんどの高校が2年生になると理系か文系かに分かれてその科目に特化した勉強をしています。高校生ぐらいは社会の常識というものを勉強しなくていいんですかという思いです。高校生で分けるのはおかしいのではないかと思っています。

今の社会は科学技術をベースにいろいろなことが発展していくわけですよね。そういうこともわからずに文科系の人が社会に貢献できるのでしょうか。一方で、理系の人間が製品開発をするとき、いまの製品ってどんどん人間に近づいています。昔は本当に道具や機械でした。今はスマホにしても何にしても人間のようになっています。人間や社会を理解せずに数式だけを追っていればうまく成功するなんて考えられない時代になっているのではないですか。

あと、例えば国外に行っていろいろな人と話をするとき、日本人でありながら「私は理系だから日本の歴史なんか全くわかりません。織田信長って誰ですか」って言うような人では困るじゃないですか。

私が中学のころにはそろそろ教育産業や偏差値が教育現場に入り始めていました。でも、高校では先生が教えたいものを教えているみたいな感じでした。なので、嫌いな先生の授業は全く合いませんでした。化学は「これ高校生に教えるレベルなのか」と全くわからなかったのですが、化学に進んだ生徒は「いい授業だった」「すばらしかった」と言っていました。2年間習った世界史の先生はフランス革命のところだけやけに詳しく、勝手にエキサイトして延々とやっていました。

――今の小中高生に伝えたいことは?

いま小中高で勉強している人は決められた時間内にいかにたくさんの点を取るかということだけをやっていると思います。知っておいてほしいのですが、実際の研究や社会で必ずしもそういうことが求められるわけではありません。時間をかけてもいいから、疑問点を洗い出し、自ら課題を設定し、問題解決に取り組む。そういう姿勢を忘れないでほしいですね。研究職を志す人は「自然のことを知りたい」とかそういうモチベーションがあるから研究者になりたいわけです。そういうモチベーションをしっかり持ったまま大人になってほしい。


江戸時代社会とは長く日本人のDNAだった。教養は教養人が担い、生活は生活者が担う。誰もが高等な教育が必要ということではない。庶民に必要な教養は四書五経の要約と歌舞伎の筋書きくらいだった。その代わり識字率は高く教育の効率性も高かった。
今の日本は社会人資格がオーバースペックで、かつMBAなどの要求されるスペックを満たしても幸せではない。どんなに高度な社会でも全国どこでも均等に複式簿記のできる人材は必要ない。均等に測量のできる人材がどこでも必要というわけではない。

日本人全員が偏差値奴隷。そろそろやめないか日本型自主奴隷化・統治システム - 公開メモ    DXM 1977  ヒストリエ

日本人全員が偏差値奴隷。そろそろやめないか日本型自主奴隷化・統治システム - 公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

高校の偏差値がどうだというの。日本人は自発的に学歴と偏差値の奴隷になっている。なぜ日本の教育が歪んでいるのか。簡単な話で東大【ホリエモン】最強のブランド「東大」#...

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ホリエモン、大学の奨学金問題で持論「今どき借金して大学なんかいって学ばなくてもいいと思う」
配信 2023年11月12日 17:31更新 2023年11月12日 17:44
スポーツニッポン スポニチ
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実業家・堀江貴文氏(51)が12日に自身のX(旧ツイッター)を更新し、大学の奨学金問題について持論を展開した。

Xでは、約230万円の奨学金の返済を終えたという人物の投稿が話題に。月々の返済が重荷だったといい「『学びたい日本人』にもっと優しく懐深い国家であってほしい」などと思いをつづっていた。

これに堀江氏は「日本のほとんどの奨学金なるものが、学生ローンでしかないのはその通りだが、今どき借金して大学なんかいって学ばなくてもいいと思うんだが」と持論を展開していた。

ユーザーからは「やりたいことを見つけに大学行くのはいいと思う」「でも大卒じゃないと受けれない会社もあるし そういう部分じゃないでしょうか?」「人それぞれ価値観違うから、それで良い」「堀江さん級に行動力がある人はそうかもしれませんが、凡人はまだまだ大学行く方がメリット多いのでは?」といったコメントが寄せられていた。

ホリエモン堀江貴文さんの言う通りです。大昔のことだが、受験の時点で、借金するならば、私は大学諦めてたと思う。それでいいじゃないか。

無意識の国是
今日本人のDNAとは何だろうか?それはアイダホの山奥とは真反対の文明、偏差値アイデンティティだろう。若い頃からの頭の良い子選抜で残ったから、あるいは残らなかったからあらかじめ自分の道は保証されていた。あるいは保証のない人生になった。この神話が日本人の戦後の新たなDNAである。その結果、さまざまな重要な日本の危機におめおめと引き下がるような無能なエリートを輩出し、国柄の危機に無関心な大衆(非保守)を生産し続けた。エリートの養分となり蹂躙される日本人を形作ったDNAは偏差値選別(教育機会の不均等)教育による人間差別統治である。
 
結論 江戸時代とはなんだったのか?現代のように個人が個人の金銭裁量と責任で幸福を無限に追及する了見などなく、社会集団が地縁による最小限の幸福を保証することによって安定で持続する平和を追求した時代。昭和はその折衷がうまくいった時代。

 

 

エデュケーション: 大学は私の人生を変えた (ハヤカワ文庫NF NF 593) 文庫 – 2023/2/7

タラ・ウェストーバー (著), Tara Westover (著), 村井 理子 (翻訳)

全世界800万部突破。ハーバード大学研究員が告白する、衝撃の半生。

狂信に溺れる家族から彼女を救ったのは、教育だった。

 

「おまえの家族はこっちだ。おまえはこちら側の人間だ」――モルモン教を狂信し、世界の終末に備えなければならないという妄想に取り憑かれた父親の絶対的支配のもと、タラは学校へ通うことを禁じられた。あらゆる傷と病をハーブで治せると信じる母、繰り返される兄の暴力、アイダホ州の山奥で強制される過酷な廃材回収業。壮絶な環境のなか、彼女は家族という呪縛をいかにして脱け出し、ケンブリッジ大学で博士号を取得するにいたったのか? 家族、宗教、そして教育は、人間の尊厳をどのように変えていくのか? 全世界800万部突破、衝撃の手記。解説/桜庭一樹


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