この本はエリートの挫折の本である。しかし何度も立ち上がった福田赳夫はすごい。事実上スーパー官庁大蔵省を戦前以上に強力にしたのは福田赳夫だ。彼はいわば日本版国産ディープ・ステートの生みの親である。彼の挫折体験は政治家福田赳夫の個性を形成した。
イケイケの経済成長や物質主義に警鐘を鳴らすかのように早くも1964年昭和元禄“元禄調“と公然と評し、反池田の旗幟を鮮明にした。
明治38才が福田赳夫氏の自己紹介の定番フレーズだった。
挫折とは二二六事件による上司高橋是清の暗殺
そして、冤罪疑獄連座 さらに党風刷新同盟の失敗。
はっきり言って下手くそエリートの理念先行絵空スキームだった。
気がつけばコア20名以外誰もついてきていない。派閥は必要なマシンであることを知っている川島正次郎に反対されては福田赳夫・田中龍雄・堀内一雄・保科善四郎の相乗り船は暗礁に登る。党の近代化とは英米国流の資金対策の輸入である。
福田赳夫の認識は自民党は老朽化しているという危機感(都市部社会党などの躍進)である。今、福田メモを読むと1963年のジョークのように聞こえる。
福田、一、地位、名誉、権力は要らない。二、私は自民党員として今日の党の在り方が心配でたまらない。党は老朽化し多くの欠陥を露呈 その根源は派閥にある。三、地区別自由民主クラブを作れ。そのために派閥解体会議を開け、各派閥事務所を閉鎖せよ。
概要はこう 小泉純一郎よりも踏み込んだ自民党をぶっ壊すに驚く。しかし反池田反高度経済成長の流れはできず、逆に同志のミイラとりの佐藤栄作が大臣ポストに落ちてミイラになってしまう。福田赳夫最も不遇なまま、日本は不況を脱してオリンピック好景気へと向かってゆく。
これらは昭和40年の少し手前 私が小学校に上がる前の出来事。私も福田赳夫のように昭和33才と胸を張って言いたい。