阿部謹也は、永井荷風や金子光晴を観察して、世間を拒否して生きた永井荷風の観察力をこのように書いている。
断腸亭日乗の昭和十六年六月十五日の記載に対して。
『この時代を知る者にとっては驚くべきこうした洞察力は、これまで見てきたような荷風の「世間」を拒否する姿勢の中から生まれてきたものであった。』
断腸亭日乗には次のように記載されている。
「元来日本人には理想なく強きものに従ひ其日其日を気楽に送ることを第一となすなり。今回の政治革新も戊辰の革命も一般の人民にとりては何らの差別もなし。欧羅巴の天地に戦争やむ暁には日本の社会状態もまた変転すべし。今日は将来を予言すべき時にあらず。」
日本人の本当の庶民はこのようにして変わらぬ世間を継承してきたと思う。永井荷風は世間を拒否し非情に生きたから日本人を観ることができた。というのが阿部謹也の意見だ。
この本はあまりに突然に終わる。
阿部謹也は<あとがき>にかいているように、「私達の一人一人が自分が属している世間を明確に自覚しうるための素材を提供しようとしたに過ぎない。」と述べているように、まとめられていない。むしろこちら側に投げつけられている。
世間を対象化する努力をしなければ、日本人全体をとらえたことになならないし、この先も絶望的なくらい日本人はそのことに関心がない。
金子光晴のいう私の「寂しさ」はあまりに重層した世間の上に立っていることの孤独感である。入り口を一度見失うと家族さえ理解できなくなる。
ただそれは、己を空洞化して世間に没入することさえできれば味わう必要のない寂しさなのかもしれない。
追補2024/02/27
明治以降、日本人にとって世間は常にどんどん変化する定規の目盛りのようなものだった。それでも自分で定規を選んでいるうちは、永井荷風が予言を忌避したように、万国共通の合理的に解に至ると信じていた楽天的見通しがあっただろう。戦後、昭和の前半まではそうだったかもしれない。令和となって、日本人は世間の持つあらゆるものを失おうとしている。国土、家族、家庭、男女の生殖、そして何よりも世間を支える所得。世間のない日本人は本当に無神論者と同じ人工的な奴隷社会を完成させてきた。社会がどう変わろうとも永井荷風が世間をもつ日本人の強いものに従う気楽さ、幸福が失せ物となったとき、奴隷生活しか残らないことに気づき始めている。