「エレキの神様」寺内タケシさんのギターや衣装1500点 茨城・筑西に今秋、記念館開館
寺内さんは5歳でギターを始め、大学在学中にプロ活動を始めた。1962年に「寺内タケシとブルージーンズ」の結成に参加。代表曲「涙のギター」のほか、クラシックの「運命」や民謡「津軽じょんがら節」「ソーラン節」などをカバーし、ヒットさせた。
当時、エレキギターが非行の温床になるとして、多くの学校に広がった「エレキ禁止令」に抗議。母校の県立土浦三高を皮切りに全国の高校を巡る「ハイスクールコンサート」を長年続けた。後年、こうした活動が認められ、文化庁長官表彰や緑綬褒章を受けた。
記念館には、寺内さんが作曲に使っていたギターや衣装などの愛用品が並ぶ。幼少時、クラシックギターに電話機のコイルを取り付け、自作したとして知られるエレキギターのレプリカもある。
壁面には、写真パネルや生前の活躍をしのぶ表彰状がずらり。さらに、寺内さんのギターを再現したレプリカやベース、ドラムセットがそろい、来館者が演奏を楽しむこともできる。
記念館は、寺内さんの関係者が構想し、光田さんが場所を探していた。知人に相談するうちに、ザ・ヒロサワ・シティを運営する広沢グループの広沢清会長(84)の耳に届き、協力を得られた。広沢会長は寺内さんのファンで、同グループの社員旅行に寺内さんを招いて演奏を聴いたこともあり、縁を感じたという。
記念館のこけら落としとして、寺内さんのヒット曲や民謡「筑波山」などを演奏するステージイベントを検討している。光田さんは「寺内タケシを伝説として伝えていきたい」と話した。
何故かご機嫌な裕仁。いつ頃の写真だろうね。右に立つ*将校はGHQの経済科学局ウィリアム・マーカット局長。「天皇種族 池田勇人」p111の写真より。
マーカットの占領下日本残留が、俗説M資金の名前の根拠になったようだが、昭和天皇のこの表情を見て私は政治家裕仁の謎が解けた気になった。M資金とは裕仁の懐資産を担保に融資するという符牒であって、俗に想像するように流通実体のある進駐後に接収した隠匿資金ではない。隠匿や機密費が実際にあったのでややこしいが。
戦後復興の復金が表の金融であるとしたなら、M資金は裏の復興金融=健全だった外国金融機関からの融資であり、その担保たる懐資産が海外に置かれていたのでそう呼ばれたのだろう。Mはすなわちmezzanineメザニン、融資でも投資でもない、中二階という意味だ。占領下の日本は今でいう劣後ローン(優先回収権付き融資)を裏の復興資金として調達したのだろう。信用度の低い敗戦国経済のどこから回収されるかというと、天皇の指示で動いた木戸が退避させた横浜正金銀行のスイス口座資金、一説には660億円、現在の価値に換算すると約300倍で、20兆円、たぶんこれが、ナチスの金塊とともにBISの戦後資産の一部になったと私は想像している。この国際金融による支援システムが回復できたこと、それは昭和天皇裕仁の戦後の命と政治的居所を安堵させるものだった。だから資産管理者マーカットの前でこの穏やかな表情なのだろう。この後、政治家裕仁から投資家裕仁となる。
*1945年に日本が降伏すると対日理事会のアメリカ代表に任命されるが、4月22日にジョージ・アチソンと交代し、マッカーサーに従いGHQの一員として日本に赴任する。同年12月に経済科学局長に任命され、財閥解体などの経済政策を主導した。1951年にマッカーサーがハリー・S・トルーマンと対立してGHQ最高司令官を解任されると、「バターン・ボーイズ」たちはマッカーサーに従いアメリカに帰国するが、マーカットは1952年4月28日にサンフランシスコ平和条約が発効してGHQの占領が終了するまで日本に残り、「バターン・ボーイズ」【マッカーサーのフィリピン脱出に同行して側近グループ】の中では最も長く(1952年4月28日まで)日本に滞在した。Eiji Takemae: The Allied Occupation of Japan. Continuum, New York 2003, S. 174.
バターンボーイズ
昭和17年、1942年3月11日夜、コレヒドール島とバターン半島南部からオーストラリアに脱出した15名余の将兵
(1)リチャード・サザーランド
(Richard Kerens Sutherland, 1893年11月27日-1966年6月25日)はアメリカ陸軍の軍人、最終階級は中将。
(2)リチャード・マーシャル
(Richard Jaquelin Marshall, 1895年6月16日-1973年8月3日)はアメリカ陸軍の軍人、最終階級は少将。
(3)ヒュー・ケーシー
(4)スペンサー・エーキン
太平洋戦線初期の米軍苦戦の中で放送を流し、前線の兵士を励ました。陸軍少将となり、戦後’45年8月〜’47年3月GHQ初代民間通信局長。
(5)ウィリアム・マーカット
(William Frederic Marquat、1894年3月17日 - 1960年5月29日)
(6)ハロルド・ジョージ
(7)チャールズ・スティヴァース
(8)チャールズ・ウィロビー
(Charles Andrew Willoughby, 1892年3月8日-1972年10月25日)はアメリカ陸軍の軍人。最終階級は少将。
(9)フランシス・ウィルソン
(10)レグランデ・ディラー
(11)シドニー・ハフ
(12)ジョゼフ・シャー
(13)チャールズ・モアハウス
(14)ジョゼフ・マクミッキング
(15)ポール・ロジャーズ
(16)フランシス・ロックウェル
Francis Warren Rockwell (July 2, 1886 – January 2, 1979) was a vice admiral in the United States Navy who served from 1908 to 1948.
貴ブログ記に … 谷川俊太郎さんの詩
「いなくならない茨木のり子さんに」を思いました。
『あなたを失ったとは思っていません
茨木さん
悼むこともしたくない
半世紀を超えるつきあいを
いまさら絶つなんて無理ですよね
からだはいなくなったって
いなくならないあなたがいる
いつか私が死んだあとも』