Pope Francis has declared in a sermon that Christmas this year will be a “charade” because “the whole world is at war”.
“It’s all a charade. The world has not understood the way of peace. The whole world is at war,” Pope Francis said. “A war can be justified, so to speak, with many, many reasons, but when all the world as it is today, at war, piecemeal though that war may be―a little here, a little there―there is no justification.”
世界中が避けられない戦争はすでに始まっている。世界のどの部分も戦争を避けることを正当化できない。傍観者ではない。こう言いたいのだろう。これが法王の謎々の答えかもしれない。では、なぜ今彼らの謎々に対する答えを我々が出されなければならないのかな。
なぜ今か?こちらの方が本当の謎かけです。きっともう彼らには時間がないのでしょう。彼らの終末戦争にあと三年費やし、さらに国際管理による終結に二年、一神教統一と資源支配完成の約束期日2034年が迫っている。誰に対する約束なのかな。そのうち現れるでしょう。
マドンナ演説
マドンナは11月14日ストックホルム公演を6分間中断して、パリ同時多発テロについてのスピーチした。
「このショウはすべて、人の生命を祝福することについてのものであり、みんなの権利を守ることについてのものであり、自分が信じているもののために闘うことについてのものなの」
「昨晩、起こったことを忘れることなく、ここまでショウをやり遂げるのは本当に大変なことだったわ。だから、昨夜パリで起こったこと、悲劇的な殺害事件によってかけがえのない命が無意味に失われたことを確認するために、この時間をとらなければならなかったの」
「一日中、不安だったわ」
「ショウをやっていくのは本当につらかった。だって、いろんな意味で悩んでいたから。愛する人を失って人々が泣いてるときに、踊って楽しんでる場合なのか、ってね」
「彼らはわたしたちに黙ってほしいと思ってる。静かにしてほしいと思ってる。だからこそ、そんなことをさせるつもりはないわ。絶対にそんなことをさせない。なぜなら、結束の力があるわけで、パリに限ったことでなく、この世界で起きている混乱や、苦痛、意味のない暴力やテロと同じくらい、そうした結束の力も起きてるんだと信じてるの。この世界には善き部分だってもっとたくさんあるのよ。それを証明するために、私たちはここにいるの」
「人間の生命に敬意を持てない人もいる。残虐で、品のない、許せないことを他人にする人だっている。でも、自分たちを変えない限り、絶対にわたしたちの暮らす世界を変えることはできないの。日々の基準に沿ってお互いを扱う関係を変えない限りね。そう、世界を変える方法は違う大統領に投票するのでも、100人以上の人を殺すのでもない。世界を変える方法は、単純に日々の基準に沿ってお互いを扱う関係を変えることなの。わたしたちはすべての人々を尊厳と敬意をもって接することを始めなければならないのよ。それこそが世界を変える唯一の方法なの。それだけなのよ。愛だけが世界を変えることができる。けど、無条件の愛というのは大変だわ。理解できない人々や自分と違う人々を愛するのも難しい。でも、そうしなければならない。そうじゃないと、こんなことが永遠に続いていってしまうわ」
マドンナもチャップリンと同様操作された偶像、アイコン、世俗的価値の破壊者であるが、彼我の中心をどこにでも置いていないという点で彼女は曖昧という個性を捨てていない。マドンナのスピーチは戦争を追認したローマ法王(教皇)フランシスコよりはずっとまともな演説だろう。彼女も道具に過ぎないが、騒ぎとしてはラ・マルセイエーズ合唱よりはショウの方がまだ良い。
「我が国を滅ぼすものは共産党と軍閥である」新渡戸稲造
“It’s all a charade. The world has not understood the way of peace. The whole world is at war,” Pope Francis said. “A war can be justified, so to speak, with many, many reasons, but when all the world as it is today, at war, piecemeal though that war may be―a little here, a little there―there is no justification.”
世界中が避けられない戦争はすでに始まっている。世界のどの部分も戦争を避けることを正当化できない。傍観者ではない。こう言いたいのだろう。これが法王の謎々の答えかもしれない。では、なぜ今彼らの謎々に対する答えを我々が出されなければならないのかな。
なぜ今か?こちらの方が本当の謎かけです。きっともう彼らには時間がないのでしょう。彼らの終末戦争にあと三年費やし、さらに国際管理による終結に二年、一神教統一と資源支配完成の約束期日2034年が迫っている。誰に対する約束なのかな。そのうち現れるでしょう。
マドンナ演説
マドンナは11月14日ストックホルム公演を6分間中断して、パリ同時多発テロについてのスピーチした。
「このショウはすべて、人の生命を祝福することについてのものであり、みんなの権利を守ることについてのものであり、自分が信じているもののために闘うことについてのものなの」
「昨晩、起こったことを忘れることなく、ここまでショウをやり遂げるのは本当に大変なことだったわ。だから、昨夜パリで起こったこと、悲劇的な殺害事件によってかけがえのない命が無意味に失われたことを確認するために、この時間をとらなければならなかったの」
「一日中、不安だったわ」
「ショウをやっていくのは本当につらかった。だって、いろんな意味で悩んでいたから。愛する人を失って人々が泣いてるときに、踊って楽しんでる場合なのか、ってね」
「彼らはわたしたちに黙ってほしいと思ってる。静かにしてほしいと思ってる。だからこそ、そんなことをさせるつもりはないわ。絶対にそんなことをさせない。なぜなら、結束の力があるわけで、パリに限ったことでなく、この世界で起きている混乱や、苦痛、意味のない暴力やテロと同じくらい、そうした結束の力も起きてるんだと信じてるの。この世界には善き部分だってもっとたくさんあるのよ。それを証明するために、私たちはここにいるの」
「人間の生命に敬意を持てない人もいる。残虐で、品のない、許せないことを他人にする人だっている。でも、自分たちを変えない限り、絶対にわたしたちの暮らす世界を変えることはできないの。日々の基準に沿ってお互いを扱う関係を変えない限りね。そう、世界を変える方法は違う大統領に投票するのでも、100人以上の人を殺すのでもない。世界を変える方法は、単純に日々の基準に沿ってお互いを扱う関係を変えることなの。わたしたちはすべての人々を尊厳と敬意をもって接することを始めなければならないのよ。それこそが世界を変える唯一の方法なの。それだけなのよ。愛だけが世界を変えることができる。けど、無条件の愛というのは大変だわ。理解できない人々や自分と違う人々を愛するのも難しい。でも、そうしなければならない。そうじゃないと、こんなことが永遠に続いていってしまうわ」
マドンナもチャップリンと同様操作された偶像、アイコン、世俗的価値の破壊者であるが、彼我の中心をどこにでも置いていないという点で彼女は曖昧という個性を捨てていない。マドンナのスピーチは戦争を追認したローマ法王(教皇)フランシスコよりはずっとまともな演説だろう。彼女も道具に過ぎないが、騒ぎとしてはラ・マルセイエーズ合唱よりはショウの方がまだ良い。
「我が国を滅ぼすものは共産党と軍閥である」新渡戸稲造