『「NEWS23」岸井成格元アンカー追悼・・・「原点は戦争と権力監視でした」
2018/5/16 13:16
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新聞だけでなく、テレビ番組のキャスター・コメンテーターとしても活躍した毎日新聞の名物記者、岸井成格・特別編集委員がきのう15日(2018年5月)に死去し、3年間アンカーを担当したTBS系報道番組「NEWS23」(月~木よる11時10分、金曜よる11時30分)も、冒頭で伝えた。
雨宮塔子キャスターが「訃報が入ってきました。ジャーナリストとしての原点は戦争、そして権力の監視でした」と取り上げ、初出演の時から最後の出演までを、取材現場やスタジオでの映像で紹介した。水俣病、沖縄、東日本大震災、安保関連法案採決の日の国会前など、各地に出かけていたことがわかる。
略』
個別にはいい人が多いのだろうけど、権力の監視の本質は、権力を知ることでしょう。監視しているというのなら権力とは何か国民に知らしめねばならないでしょう。
権力を機械エンジンに例えれば、権力のガソリンは徴税と法であり、エンジンの肝ピストン駆動部分は実体権力としての予算分配措置、暴力装置、強制執行者であり、実際に駆動輪に動力を調整して伝えているトランスミッション部分は官僚組織となっている。日本政府の権力を調整している人は総理大臣じゃない。官僚組織だ。効率の良いエンジンもあれば不効率かつ非効率なガス漏れエンジンもある。効率に関係する自由度が最も少ないのがガソリンで、これが裁量で動くようではもはや自動車、国にならない。国柄と国民性が最も影響するのが自由度の少ないガソリンとエンジンの中核暴力装置である。マスコミが権力の監視と主に言っているのは裁量で変わる部分のことで、車が動く仕組みや権力の本質ではない。車の方向に大きく影響しない組閣ステアリングや動く気のない財務省アクセルを踏んで操縦者の幻想を抱いている政治家の行動などスパルタンな他の構成部分と比較してみれば、ほとんど意味ない監視となる。エンジンの周りにもう一つ迂回エンジンを付け加えたりしている複雑怪奇な官僚組織の創作物である権力を国民に示さずに、スクープだリークだとワーワーとやって見せているマスコミ政治部はもはや外憂の侵攻と錆つきを抑えるルーティーン公安さえも理解できない井戸の中のヤジ馬と化している。マスコミが権力の監視を矜持と思うならば、まずエンジニアとしてまともな車、つまりはまともな国家の点検方法を身につけていなければならない。合掌。
権力には三種類あるのに、行政だけしかも議院推薦の総理大臣だけに集中して疑いをかけるワーワーしかできないし、程度の低い記者も抑制できない君たち記者団はただの烏合の集では?
司法はせいぜいカーナビ程度の能力で、事後的ナビゲーターに実体権力はない。実際に運転していると言われる国会はステアリングで、これを握っているのは国民や国会議員であるという建前であるが、実は完全自動運転の仕組みができている。しかも自由に走る車輪がついているのではなく、日米委員会というレールを走る軌道車両にすぎない。権力とは走り始めた列車のようなもの。調整はできても止めることはできない。したがってマスコミが監視すべき対象は実は外国の官僚組織の実務トップとそのインナー総理なのだということさえ伝えていない。
極々単純化された政局が彼らマスコミ業界人の生業で言うところの権力だったのではないか。何のために監視しているかも抜け落ちた二値化と反権力の動機しか無いものを本物と勘違いして生きてきた岸井さんの虚しい人生でした。合掌。
これが権力の監視?ただ思いついた悪口じゃない。
これは蛇口
朝日新聞の言い分
『(社説)朝日襲撃31年 異論に耳傾ける社会に
2018年5月2日5時0分
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1116
取材の最前線をねらった凶弾への憤りを胸に、新聞の役割を再確認したい。
兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局に散弾銃をもった男が押し入り、記者2人が殺傷された事件から明日で31年になる。
赤報隊を名乗る犯人が起こした8件の事件は、03年3月までに公訴時効が成立している。だがそれは刑事手続き上の話だ。卑劣なテロの記憶を風化させてはならない。
重傷を負った犬飼兵衛さんは1月に73歳で亡くなった。常々「なぜ撃たれたのか、知りたかった」と無念を語っていた。
阪神支局3階の資料室には、犬飼さんと小尻知博記者(当時29)が座っていたソファや遺品が展示してある。見学者がつづったメッセージのひとつに、こんな文章がある。
「言論の自由が猛烈な勢いで脅かされている現在、市民の一人ひとりが『みる・きく・はなす』を実践していくことが必要だと思う」(50代女性)
この国の状況に危機感を覚えての感想だろう。
事件直後、多くの人が怒りを表し、当時の中曽根首相は「憲法の保障する基本的な権利への挑戦だ」と批判した。ところがいま、銃撃を「義挙」と呼び、「赤報隊に続け」などと、そのゆがんだ考えと行動を肯定する言葉がネット上に飛び交う。
同じく1月に92歳で他界した元自民党幹事長の野中広務さんは、かつて北朝鮮への人道支援を唱え、「国賊政治屋」などと非難された。事務所に弾丸を送りつけられたこともあった。
それでも「私の姿勢と信念はゆるがない」と述べ、昨年も阪神支局事件に触れて「言論は民主主義の基本だ」と変わらぬ思いを語っていた。言論統制下の戦時中を知る人の言葉を、今こそ重く受け止めたい。
大切なのは、異論にも耳を傾け、意見を交換し、幅広い合意をめざす社会を築くことだ。
それなのに「反日」「国益を損ねる」といった言い方で、気に入らない意見を敵視し、排除しようという空気が、安倍政権になって年々強まっている。
先日も、自民党の下村博文・元文部科学相が「メディアは日本国家をつぶすために存在しているのかと最近つくづく思う」と講演した。政権の足を引っ張るものは許さない。そんな本音が透けて見える。
多様な言論の場を保証し、権力のゆきすぎをチェックするのがメディアの使命だ。立場や価値観の違いを超え、互いに尊重し合う民主社会の実現に、新聞が力になれるよう努めたい。』
幅広い合意を目指すために自分たちの誤報を徹底的に隠す。ネット上になどと異質な歪みがある事(下線部出典不明)を紹介しながら、自ら不都合なことは検索できなくしている朝日新聞にそんなことが言えるのか?政権側には言論の自由がないかのような朝日新聞から見た異論と阪神支局赤報隊襲撃は下村博文の「メディアは日本国家をつぶすために存在しているのかと最近つくづく思う」何らつながりはないし、そういう異論は認めない。《権力のゆきすぎ》チェックをするのがメディアの使命であると認じるなら、ありもしない、むしろ自ら黒影塗りにした証拠文書の中に疑惑の不在が証明されている捏造スキャンダルで国会を停止させる野党幇助は《メディアのゆきすぎ》=言論の自由妨害であり、こちらからのチェックには口チャックさん。ちっとも価値観の違いを超えていないのは、朝日新聞である。
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雨宮塔子キャスターが「訃報が入ってきました。ジャーナリストとしての原点は戦争、そして権力の監視でした」と取り上げ、初出演の時から最後の出演までを、取材現場やスタジオでの映像で紹介した。水俣病、沖縄、東日本大震災、安保関連法案採決の日の国会前など、各地に出かけていたことがわかる。
略』
個別にはいい人が多いのだろうけど、権力の監視の本質は、権力を知ることでしょう。監視しているというのなら権力とは何か国民に知らしめねばならないでしょう。
権力を機械エンジンに例えれば、権力のガソリンは徴税と法であり、エンジンの肝ピストン駆動部分は実体権力としての予算分配措置、暴力装置、強制執行者であり、実際に駆動輪に動力を調整して伝えているトランスミッション部分は官僚組織となっている。日本政府の権力を調整している人は総理大臣じゃない。官僚組織だ。効率の良いエンジンもあれば不効率かつ非効率なガス漏れエンジンもある。効率に関係する自由度が最も少ないのがガソリンで、これが裁量で動くようではもはや自動車、国にならない。国柄と国民性が最も影響するのが自由度の少ないガソリンとエンジンの中核暴力装置である。マスコミが権力の監視と主に言っているのは裁量で変わる部分のことで、車が動く仕組みや権力の本質ではない。車の方向に大きく影響しない組閣ステアリングや動く気のない財務省アクセルを踏んで操縦者の幻想を抱いている政治家の行動などスパルタンな他の構成部分と比較してみれば、ほとんど意味ない監視となる。エンジンの周りにもう一つ迂回エンジンを付け加えたりしている複雑怪奇な官僚組織の創作物である権力を国民に示さずに、スクープだリークだとワーワーとやって見せているマスコミ政治部はもはや外憂の侵攻と錆つきを抑えるルーティーン公安さえも理解できない井戸の中のヤジ馬と化している。マスコミが権力の監視を矜持と思うならば、まずエンジニアとしてまともな車、つまりはまともな国家の点検方法を身につけていなければならない。合掌。
権力には三種類あるのに、行政だけしかも議院推薦の総理大臣だけに集中して疑いをかけるワーワーしかできないし、程度の低い記者も抑制できない君たち記者団はただの烏合の集では?
司法はせいぜいカーナビ程度の能力で、事後的ナビゲーターに実体権力はない。実際に運転していると言われる国会はステアリングで、これを握っているのは国民や国会議員であるという建前であるが、実は完全自動運転の仕組みができている。しかも自由に走る車輪がついているのではなく、日米委員会というレールを走る軌道車両にすぎない。権力とは走り始めた列車のようなもの。調整はできても止めることはできない。したがってマスコミが監視すべき対象は実は外国の官僚組織の実務トップとそのインナー総理なのだということさえ伝えていない。
極々単純化された政局が彼らマスコミ業界人の生業で言うところの権力だったのではないか。何のために監視しているかも抜け落ちた二値化と反権力の動機しか無いものを本物と勘違いして生きてきた岸井さんの虚しい人生でした。合掌。
これが権力の監視?ただ思いついた悪口じゃない。
これは蛇口
朝日新聞の言い分
『(社説)朝日襲撃31年 異論に耳傾ける社会に
2018年5月2日5時0分
1116
取材の最前線をねらった凶弾への憤りを胸に、新聞の役割を再確認したい。
兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局に散弾銃をもった男が押し入り、記者2人が殺傷された事件から明日で31年になる。
赤報隊を名乗る犯人が起こした8件の事件は、03年3月までに公訴時効が成立している。だがそれは刑事手続き上の話だ。卑劣なテロの記憶を風化させてはならない。
重傷を負った犬飼兵衛さんは1月に73歳で亡くなった。常々「なぜ撃たれたのか、知りたかった」と無念を語っていた。
阪神支局3階の資料室には、犬飼さんと小尻知博記者(当時29)が座っていたソファや遺品が展示してある。見学者がつづったメッセージのひとつに、こんな文章がある。
「言論の自由が猛烈な勢いで脅かされている現在、市民の一人ひとりが『みる・きく・はなす』を実践していくことが必要だと思う」(50代女性)
この国の状況に危機感を覚えての感想だろう。
事件直後、多くの人が怒りを表し、当時の中曽根首相は「憲法の保障する基本的な権利への挑戦だ」と批判した。ところがいま、銃撃を「義挙」と呼び、「赤報隊に続け」などと、そのゆがんだ考えと行動を肯定する言葉がネット上に飛び交う。
同じく1月に92歳で他界した元自民党幹事長の野中広務さんは、かつて北朝鮮への人道支援を唱え、「国賊政治屋」などと非難された。事務所に弾丸を送りつけられたこともあった。
それでも「私の姿勢と信念はゆるがない」と述べ、昨年も阪神支局事件に触れて「言論は民主主義の基本だ」と変わらぬ思いを語っていた。言論統制下の戦時中を知る人の言葉を、今こそ重く受け止めたい。
大切なのは、異論にも耳を傾け、意見を交換し、幅広い合意をめざす社会を築くことだ。
それなのに「反日」「国益を損ねる」といった言い方で、気に入らない意見を敵視し、排除しようという空気が、安倍政権になって年々強まっている。
先日も、自民党の下村博文・元文部科学相が「メディアは日本国家をつぶすために存在しているのかと最近つくづく思う」と講演した。政権の足を引っ張るものは許さない。そんな本音が透けて見える。
多様な言論の場を保証し、権力のゆきすぎをチェックするのがメディアの使命だ。立場や価値観の違いを超え、互いに尊重し合う民主社会の実現に、新聞が力になれるよう努めたい。』
幅広い合意を目指すために自分たちの誤報を徹底的に隠す。ネット上になどと異質な歪みがある事(下線部出典不明)を紹介しながら、自ら不都合なことは検索できなくしている朝日新聞にそんなことが言えるのか?政権側には言論の自由がないかのような朝日新聞から見た異論と阪神支局赤報隊襲撃は下村博文の「メディアは日本国家をつぶすために存在しているのかと最近つくづく思う」何らつながりはないし、そういう異論は認めない。《権力のゆきすぎ》チェックをするのがメディアの使命であると認じるなら、ありもしない、むしろ自ら黒影塗りにした証拠文書の中に疑惑の不在が証明されている捏造スキャンダルで国会を停止させる野党幇助は《メディアのゆきすぎ》=言論の自由妨害であり、こちらからのチェックには口チャックさん。ちっとも価値観の違いを超えていないのは、朝日新聞である。