病を得て老人になることが一層恐ろしくなる年齢も近づいた。あまり考えもせず大学に入学し、なんとかなると見通した楽観的人生が急転する。もちろん結婚して幸せな家族がいる。それでも後悔と病の悩みは一人で抱える。老年とはそういうものだ。まだ入り口に過ぎないが。百田尚樹のこの作品はまだ29歳の時のものらしい。
真実の行為、百田尚樹はここに気づいたのではないか?
永遠の零、先に行った者たちは美しく見える、しかし本当に大切なのは若い人々の未来である。私は先人の為しえなかったある種の哲学的気配を感じながら、あるいはその気配を忘れながら、私は、わたしたちは生きる。それは見えない明日を見るために必要な礼節であると思うから。
発表しなかった理由は分量がありすぎるということだろう。無名でこの量はどこも受け付けない。分割するのは嫌だったのかな。
この『錨を上げよ』に書評などいらない。ただ手にとってページをめくれば、百田尚樹が出てくる。カテゴリーは活劇小説、時代活劇、社会派小説でもなく、かといって内幕もの社会活劇でもなく、私小説でもない。いわば百田尚樹の想像した内幕時代・社会、個人小説あるいは自叙伝風偽悪者小説。このごった煮にひとつだけ煮えない具材、百田尚樹がデーンとあるそういう作品です。読者は箸を動かし続けて煮えるのを待つが。未完。
もしその後の30年で病を得ていたら、百田尚樹の辞めてしまう癖も衰え、もう少しで完成だったかもしれない。元気なのは結構なので小説家以外で頑張ってほしい。
この『錨を上げよ』に書評などいらない。ただ手にとってページをめくれば、百田尚樹が出てくる。カテゴリーは活劇小説、時代活劇、社会派小説でもなく、かといって内幕もの社会活劇でもなく、私小説でもない。いわば百田尚樹の想像した内幕時代・社会、個人小説あるいは自叙伝風偽悪者小説。このごった煮にひとつだけ煮えない具材、百田尚樹がデーンとあるそういう作品です。読者は箸を動かし続けて煮えるのを待つが。未完。
もしその後の30年で病を得ていたら、百田尚樹の辞めてしまう癖も衰え、もう少しで完成だったかもしれない。元気なのは結構なので小説家以外で頑張ってほしい。