2年後、田中角栄生誕百年となる。そういうわけだろうか、石原慎太郎は一人称で田中角栄を書いた。
田中角栄を出汁に石原慎太郎の遺言を書き連ねたようなもので、文学としてはゲテモノである。しかし尊敬の念がなければ書けるものではない。
『大橋薫*と言う人は、当時の金融界のフィクサーであり、各都市銀行頭取クラス及び大蔵省の局長以上に対する影響力は絶大なものがあった。 昭和46年の角福戦争の時は、大橋さんが僕に直接語った言によると、自分が病気で入院していたために福田が負けたと言っていたのを覚えている。』2009年12月10日雲丹亀日記より
*大東亜省出身でジャパンタイムス**の記者であった大橋薫
**ジャパンタイムス おおむね日本に好意的な論調を続け、1873年から1875年まで、日本政府の意を受けて、日本の情勢を紹介するための海外版を欧米各国に配布しています。明治14(1881)年には経営権がF.ブリンクリーの手に渡りますが、その後も親日派の英字新聞として異彩を放ちました。大正6(1917)年に一旦休刊、翌年『ジャパン・タイムズ』に吸収・合併される。
元首相を描く異色の小説 「反田中」の石原慎太郎氏が出版
石原慎太郎さんが田中角栄元首相に成り代わって一人称で語る小説「天才」
作家で元都知事の石原慎太郎氏(83)が、田中角栄元首相(1918~93年)に成り代わって一人称で語る小説「天才」(幻冬舎)を22日、出版。若手衆院議員時代の石原さんは「反田中」の急先鋒だった。ロッキード事件や日中国交回復など毀誉褒貶が激しい角栄氏の波乱の生涯をたどりつつ、その内面描写にも挑んだ異色の小説が話題を呼びそうだ。
石原氏は後書きで、交通インフラの整備や資源外交、テレビメディアの「造成」など、角栄氏の政治的業績の大きさを挙げ、「先見性に満ちた発想の正確性」を現在の日本のありようが証明していると断言。執筆動機を「政治に関わった者としての歴史に対する責任」と説明した。
物語は、角栄氏が「俺」という一人称で人生を回想する設定。故郷・新潟での少年期に「根回しの大切さ」や「金という化け物」への身の処し方を学んだ逸話が語られる。ロッキード事件での逮捕は「不条理」として、米国の策謀をにおわせている。
土屋検事 「新聞を見て、田中先生がどう言っていると思ったんですか。」
榎本被告人 「とにかくわからないんです。田中先生が言っているといわれてもわからないんで、検事さんに『私にも考える時間をください.関門をくぐんなくちゃ』といったんです。」
土屋検事 「あなたは7月30日に(田中自供の新聞を見せられて)現金授受を自白したと述べましたが、実際は(逮捕翌日)7月28日に自白したんではありませんか。」
榎本被告人 「そういうことはありません」
土屋検事 「まちがいないですね。」
榎本被告人 「ございません。」
土屋検事 「7月28日に自白している検事調書を開示します。その上で次回即刻質問します」
「三時過ぎでした。私が“Iさん、あなたは背負い切れない重荷を負っている。私にはそれがわかる。重い荷を下ろしなさい。私も手伝いましょう”と言いますとIさんは、涙を流しました。それから机に顔を伏せ、激しく泣きました。十分以上、泣いていました。私は気の済むまでそのままにしておきました。Iさんはやがて顔を上げ、涙を流しながら“申しわけありませんでした。偽証していたことは間違いありません”とはっきり事実を認めました」
(『裁かれる首相の犯罪 ロッキード法廷全記録 第8集』、227ページ。)Iさんとは元丸紅・取締役。I被告人は被告人質問で5億円の授受は認めたものの、賄賂性については否認したため、検察側が証拠申請した調書の信用性をめぐり、Iを取調べた松尾邦弘検事、後の検事総長。
私が天才と思う同時代人は、岡本太郎。手塚治虫。努力している姿を見せない人、短時間でも他人の数倍深いことができる人、そういう人が天才だが、数多いるそういう天才とは違う天才が田中角榮。構想力は岡本太郎や手塚治虫と同格だが、社会の中に浸透する水平突破が尋常でない。岡本太郎や手塚治虫を恐れる人はいないが、死んでもなお田中の勢いが止まらない。北海道新幹線がそのいい例だろう。天才には垂直型と水平型がある。垂直型は才能があれば生まれるが、水平型は才能に時代がついてこないと生まれない。世界に恐怖心を抱かせた天才が田中角榮。米国が種を蒔き司直が育ててマスコミが政治家を刈りとる三位一体が完成した。恐怖心を抱かせるほどに偉大な政治家だった。
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田中角栄を出汁に石原慎太郎の遺言を書き連ねたようなもので、文学としてはゲテモノである。しかし尊敬の念がなければ書けるものではない。
『大橋薫*と言う人は、当時の金融界のフィクサーであり、各都市銀行頭取クラス及び大蔵省の局長以上に対する影響力は絶大なものがあった。 昭和46年の角福戦争の時は、大橋さんが僕に直接語った言によると、自分が病気で入院していたために福田が負けたと言っていたのを覚えている。』2009年12月10日雲丹亀日記より
*大東亜省出身でジャパンタイムス**の記者であった大橋薫
**ジャパンタイムス おおむね日本に好意的な論調を続け、1873年から1875年まで、日本政府の意を受けて、日本の情勢を紹介するための海外版を欧米各国に配布しています。明治14(1881)年には経営権がF.ブリンクリーの手に渡りますが、その後も親日派の英字新聞として異彩を放ちました。大正6(1917)年に一旦休刊、翌年『ジャパン・タイムズ』に吸収・合併される。
元首相を描く異色の小説 「反田中」の石原慎太郎氏が出版
石原慎太郎さんが田中角栄元首相に成り代わって一人称で語る小説「天才」
作家で元都知事の石原慎太郎氏(83)が、田中角栄元首相(1918~93年)に成り代わって一人称で語る小説「天才」(幻冬舎)を22日、出版。若手衆院議員時代の石原さんは「反田中」の急先鋒だった。ロッキード事件や日中国交回復など毀誉褒貶が激しい角栄氏の波乱の生涯をたどりつつ、その内面描写にも挑んだ異色の小説が話題を呼びそうだ。
石原氏は後書きで、交通インフラの整備や資源外交、テレビメディアの「造成」など、角栄氏の政治的業績の大きさを挙げ、「先見性に満ちた発想の正確性」を現在の日本のありようが証明していると断言。執筆動機を「政治に関わった者としての歴史に対する責任」と説明した。
物語は、角栄氏が「俺」という一人称で人生を回想する設定。故郷・新潟での少年期に「根回しの大切さ」や「金という化け物」への身の処し方を学んだ逸話が語られる。ロッキード事件での逮捕は「不条理」として、米国の策謀をにおわせている。
土屋検事 「新聞を見て、田中先生がどう言っていると思ったんですか。」
榎本被告人 「とにかくわからないんです。田中先生が言っているといわれてもわからないんで、検事さんに『私にも考える時間をください.関門をくぐんなくちゃ』といったんです。」
土屋検事 「あなたは7月30日に(田中自供の新聞を見せられて)現金授受を自白したと述べましたが、実際は(逮捕翌日)7月28日に自白したんではありませんか。」
榎本被告人 「そういうことはありません」
土屋検事 「まちがいないですね。」
榎本被告人 「ございません。」
土屋検事 「7月28日に自白している検事調書を開示します。その上で次回即刻質問します」
「三時過ぎでした。私が“Iさん、あなたは背負い切れない重荷を負っている。私にはそれがわかる。重い荷を下ろしなさい。私も手伝いましょう”と言いますとIさんは、涙を流しました。それから机に顔を伏せ、激しく泣きました。十分以上、泣いていました。私は気の済むまでそのままにしておきました。Iさんはやがて顔を上げ、涙を流しながら“申しわけありませんでした。偽証していたことは間違いありません”とはっきり事実を認めました」
(『裁かれる首相の犯罪 ロッキード法廷全記録 第8集』、227ページ。)Iさんとは元丸紅・取締役。I被告人は被告人質問で5億円の授受は認めたものの、賄賂性については否認したため、検察側が証拠申請した調書の信用性をめぐり、Iを取調べた松尾邦弘検事、後の検事総長。
私が天才と思う同時代人は、岡本太郎。手塚治虫。努力している姿を見せない人、短時間でも他人の数倍深いことができる人、そういう人が天才だが、数多いるそういう天才とは違う天才が田中角榮。構想力は岡本太郎や手塚治虫と同格だが、社会の中に浸透する水平突破が尋常でない。岡本太郎や手塚治虫を恐れる人はいないが、死んでもなお田中の勢いが止まらない。北海道新幹線がそのいい例だろう。天才には垂直型と水平型がある。垂直型は才能があれば生まれるが、水平型は才能に時代がついてこないと生まれない。世界に恐怖心を抱かせた天才が田中角榮。米国が種を蒔き司直が育ててマスコミが政治家を刈りとる三位一体が完成した。恐怖心を抱かせるほどに偉大な政治家だった。
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