ゲルマン人の大移動(ヴェルケルヴァンダリング、Volkerwanderung)は、一般的に西暦375年から568年までの時期を指し、この期間中に多くのゲルマン民族がヨーロッパ全体に広がった事象を指します。
ゲルマン人の大移動の原因は複数ありますが、以下に主要な要因を挙げてみます。
1. フン族の侵攻: 4世紀の終わり頃、強力な遊牧民族であるフン族が東ヨーロッパに侵入しました。彼らの脅威に直面して、多くのゲルマン部族が西と南へと移動を始め、これが大移動の一つのきっかけとなりました。
2. ローマ帝国の衰退: ゲルマン人の大移動は、ローマ帝国の衰退と密接に関連しています。ローマ帝国の政治・経済・軍事的な弱体化により、ゲルマン部族がローマ帝国領内へと進出する機会が生まれました。
3. 社会経済的な要因: 一部の学者は、ゲルマン部族が移動を開始した原因として気候変動や土地の枯渇、人口圧力などの社会経済的要因を挙げています。
これらの原因が組み合わさり、多くのゲルマン部族が新たな土地を求めて移動し、それぞれが新たな王国を築き上げることとなりました。この過程で西ローマ帝国は滅亡し、ヨーロッパの政治地図は大きく変わりました。
ゲルマン人の大移動は、大まかには4世紀から6世紀まで続きました。その終結については複数の要因が考えられます。以下、主要な要因を挙げてみます。
1. 新しい政治的秩序の成立:ゲルマン人の大移動の結果、新たな政治的秩序がヨーロッパ各地に成立しました。西ゴート王国、東ゴート王国、フランク王国、ランゴバルド王国などが形成されました。これらの王国が安定した政治体制を持つようになると、大規模な民族移動は自然と終息しました。
2. ローマ帝国の統治体制の継承:多くのゲルマン部族は征服地においてローマの行政体制や文化を継承しました。これにより、ローマの社会制度とゲルマンの制度が融合し、新たな社会が形成されました。これにより、大規模な移動よりも既存の土地での安定化が求められるようになりました。
3. ゲルマン人のキリスト教化:ゲルマン人の移動が終わる頃には、キリスト教がゲルマン人に広く受け入れられていました。キリスト教化は、ゲルマン人による新しい王国の建設と社会秩序の確立に寄与しました。これにより、ゲルマン人は敵対する他のキリスト教国との関係を築く基盤を持つことができ、それが大規模な移動や衝突を抑制する一因となりました。
これらを通じて、ゲルマン人の大移動は次第に終息し、中世ヨーロッパの基盤が形成されていきました。
「あたかも一万年も生きるかのように行動するな。不可避のものが君の上に、生きているうちに、許されている間に、善き人たれ。」
マルクス・アウレリウス 「自省録」第4巻 17
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マキャヴェッリはどのようにマルクス帝を評価したか
「おそらく、ローマ皇帝の生き死にを検証して、その多くが私の意見の反証となっており、そのうちの何人かは高貴に生き、精神の偉大な資質を示しながらも、帝国を失なったり、陰謀を企てた臣民に殺害されたりしていると言う人たちが現われることでしょう。そこで、この反論に答えるために、ローマ皇帝の幾人かの性格を思い起こし、その破滅の原因が私の主張するとこと異らないことを示しておきましょう。同時に考察にあたり、当時の事情を研究する人には注目に価する事柄について、意見を述べることにします。
哲人皇帝マルクスからマクシミヌスまで帝国を継承した皇帝たちを全員取り上げれば十分でしょう。それは、マルクスとその子コモドゥス、ペルティナクス、ユリアヌス、セウェルス、その子アントニヌス・カラカラ、マクリヌス、ヘリオガバルス、アレクサンデル、マクシミヌスの諸帝です。 」
(略)
「こうした理由から、マルクス・アウレリウス、ペルティナクス、アレクサンデルはみな質素な生活をし、正義を愛し、残忍を憎み、人情厚く、温和でありましたが、マルクスを除けば、悲惨な最期をとげました。マルクスだけは名誉のうちに生きそして死にました。なぜなら、彼は玉座を世襲の称号として引き継いだのであり、兵士にも民衆にもなんら負うところがなかったからです。そして後には、尊敬を受ける多くの徳を身につけて、生きているうちは両者をしかるべき秩序を保ち、憎悪されることも軽蔑されることもありませんでした。
しかしペルティナクスは、兵士の意にさからって帝位についた皇帝であり、兵士たちはコモドゥスの下で放埒に生きるのに慣れていたので、ペルティナクスが彼らに無理強いた質素な生活には耐えられなかったのです。こうして憎悪の原因をもたらしたのですが、その上に彼が老齢であったため軽蔑までが加わり、その統治のごく初期のうちに打倒されたのでした。そして、ここで注意しておきたいのは、憎悪されるようになるのは、悪い行いによってではなく、良い行いによるほうが多いということです。」
マキャヴェッリ 君主論 第19章 「軽蔑され憎悪されるのを避けること」
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(わたしの考え)
友愛政治もマルクス帝のような哲人政治も滅多に成功しない。歴史は証言し、予言する。
マルクス・アウレリウスがいかに自己を律していたか、「自省録」はそれを物語る。
所詮リーダーは尊敬賞賛される必要はなく、<軽蔑され憎悪されるのを避けること>が重要だということはローマの歴史が示していると、マキャヴェッリは達観した見解を述べている。
鳩山ジュニア首相は憎悪こそされていないが、いま明らかに国民から軽蔑され始めている。漢字の読み間違えであろうが、安全保障の理解違いであろうが、軽蔑は政治家の終わりだ。もし「友愛」に外交根拠を求めるのならば、この失策はローマほどではなくとも、日本をこの先50年後にはアジアの周辺国に沈めるほどに国富を毀損するだろう。
なぜならば、ヨーロッパと違って、第一にアジアには共通の理想、将来の到達点という紐帯が無い。第二に歴史を操作し日本が<軽蔑され憎悪されている>状況を創るのは中国に容易であり、憎悪の種はまかれている、軍事的軽蔑はもう始まっている。第三に。。これはやめておこう。