公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

開かれた社会とは ソロス1

2014-10-16 21:08:32 | ジョージ・ソロスのワンワールド
要約
支配のためのポストモダニズムは次の3つの特徴を持つ。
1、サブカルチャー、国民国家などの多様性を認めない。
2、信ずべき最善のもの(システム、国家、信教)が目の前にある。
3、信じないものは追放する。抵抗するものは破壊する。
開かれた社会は、全球化して閉じて、ソロスは開かれた社会の二値化に裏切られることになる。


先日、イスラム国が奴隷制を復活させると宣言した。この『国』は、無用に残虐な行動に走っている。恐怖が大きければ大きいほど支配できると信じているのか?どうも私にはこの集団が意図して孤立と残虐とレイプ繰り返し、絶対的な悪ソドムのような異境に純化することを意図している偽悪と見えてならない。25日もイスラム国はイラクで化学兵器を使った疑いで、「化学兵器による攻撃は国際法に違反する」と米国ケリー国務長官に非難されている。
恐怖だけで人を支配できる訳ではない。
偽悪が芝居なら、大掛かりな芝居をイスラム国と米国のイスラエル局とやりあっていると考えれば、この奇妙な紛争継続国家の偽悪的行動が読めてくる。イラクのフセインを追い出し、イランの影響を排除し、レバノンからチグリスユーフラテス川に至る広大な地域、肥沃な三日月全体を軍事的真空地帯とした上で、最悪の集団をここに濃縮して核兵器を打ち込む絶滅シナリオならば、芝居がかった行動も理解もできる。次元の違う核空爆ではない自爆核ならば、誰がどうやったかバレることもない。911やイラク空爆のようにイスラム国が核武装したと世界を信じ込ませればそれで良い。
第二次大戦の終盤に起こったことに最初の罪がある。
日本に対して1945年に行ったと同じように、核兵器で無差別殺戮するときは、相手が人間でないか絶対悪の権化でなくては良心が痛む。
ソロスがどのように<開かれた社会>を修正しても<開かれた社会>とはこういう支配する者にのみ都合のいい社会のことだろう。そういう社会が将来世代にとって幸せであるはずがない。ところが例外的に支配する者にのみ開かれた社会で幸せな国民のケースがある。どこにあるか?日本
日本は米国に支配されながらも支配下の裨益国である。言うまでもなく敗戦により日本は戦争の真の目的を主張すること無く、ゴマスリとなって時流に機会を見出すことにした。占領下の7年で国は工業力と精神力を徹底的に破壊され、飢餓を恐れる農業国に貶められながら、町工場の手仕事で蘇り、成長し、収奪されながらもアングロサクソンによる国際規制の予想を上回る行動力と技術革新(彼らが繰り出してきたのは繊維、環境マスキー法、自動車ばかりでない、1990年6月にまとめられた日米構造協議の最終報告書には「10年で総額430兆円の公共投資」が盛り込まれた)で奇跡的に成長。今年長く禁じられていた本格的なMRJ、HJといった航空機産業に踏み出した。
一度ここで時間をさかのぼり、広い視点で世界史を一望してみよう
遥か昔の支配は啓蒙主義による旧支配の破壊によって更新された
もちろん全ての旧世界破壊には経済的背景がある。「ミシシッピ会社」の多額の投資とバブル破綻がフランスを崩壊に導いた。フランス革命は旧支配(根本はローマカトリック教会)の精神的壁の破壊を尽くした。最後に残ったのが軍事力および将校たちで、軍隊だけが国民を救い出す残された道だった。それ故ナポレオンが台頭した。そして秩序を回復させるまで30年近く国體の混乱が続いた。啓蒙の歴史を思い起こせば、<開かれた社会>というのは革命や成り上がり者達の強奪に任せて社会機能の停止を許容する社会にすぎないことは明らかだろう。
アングロサクソンの成り上がり者達の富による統治 王による統治という古い心臓切り出して、新しいデモクラシーという統治の心臓を移植した社会が今の欧米社会の原型。だが、

フランス革命の理念や米国独立宣言あるいは権利章典にみられた18世紀に台頭して民主主義国家美徳の共通点(普通選挙による議会、権力の分割と権力の相互監視、身分階級によらない法の下の平等と法治主義)が唯一の答えではないことはフランス革命の歴史を見れば明らかなことなのだ。それにもかかわらずこれらが壊れないようにしているのは他に選択肢が無いと信じている異床同夢の状況だけで、継続性を保証するものは何もない。啓蒙された理性は常に働くものではないし、啓蒙の役割が信教と同等なら宗教の継続性に勝てない。複製された統治が専有している富は、新しい専有に交代する運命にさらされている。
アングロサクソンによる支配の再構成、再更新を支持するポストモダニズム。破壊力は啓蒙主義の歴史的役割とおなじものであり、ポストモダニズムは信教と変わらない。
だからソロスは開かれた社会論で民主主義国家が独裁をソフトに許容していることに疑問を呈しているだけでなく、顔を出さない独裁者(および独裁者を希求する民衆)に対して警告を発している。しかしどうあるべきかソロス自身に答えはまだないのだろう。彼の哲学上のポジションは支配の再構成を目論む主流派に対する一種の修正主義に過ぎない。
未来の支配者を知りたければ、支配の更新に有力な信教の台頭を、誰よりも先に知る必要がある。
地球温暖化というデマも支配に都合がいいから作文、膾炙されてきたし、グローバリズムも違法でも訴追されないサイバー企業の戦略も新たな枠組みを旧世界に押し付けることで支配できるゆえのネタにすぎない。
正しいかどうか、真実かどうかではない、ただただ信じるか信じないか、そこだけが大切なこととして単純化された世界が支配のためのポストモダニズム
同様に米国同盟(英国、スペイン)が繰り出してきたヒトゲノム戦略と地球温暖化は錬金術のメッキがはげ落ち地金の原発産業と製薬産業が剥き出ている。今彼らの手の中にあるカードの中のジョーカーはイスラムレバノン国であることは読めた。しかし他のカード(知的財産と裁判権簒奪の協定は十分に危険なカード)があまりに弱いというところにまだ弱みを晒している。次はなにか、人権と死刑制度廃止は確実にカードに含まれるだろうが決定的ではない。ジョーカーを出す前に次に出すべき強いカードはやはり国境を超えた資産移動と通貨発行権に関するものだろう。IMFあるいは通貨バスケットの根本的改革が始まれる、これに対応する巨悪が暴露され、表向き犯罪不正を糺すルールにより国境を超えた資産が凍結される日が近いと予想する。カードを読むのはこれくらいにしておこう。

もはや信じこませるためには、言説は真実の説明と一致する必要がない。それが支配のためのポストモダニズムだ。
その課題が道義の有無であれ、通商交渉であれ、信ずべきものが先に来る、その普遍性は問わない、これが支配のためのポストモダニズムという信教に支配された今の世界に潜む悪の結社信条だ。なぜ私がそのように悪を一纏めにするかというと、哲学がこれを悪として炙りださねば、人類は新しい次元の精神支配を相手に戦いを継続することができないからだ。

さて2013年10月の現時点にもどれば、
マヤヤを平和賞に引き出して人権の爆弾をせっせと磨いているのは旧世界を破壊するためであって、その構造はフランス革命と全く変わらない。オバマ大統領さえ感染したかもしれないエボラ出血熱ウイルスと同時株安、クリミアとイスラムレバノン国、中国経済のバブル崩壊と統治力低下など地政学的不安で身動きがとれない今だからこそ、ソロスの警告は聞いておかねばならない。
このまま数十年経過したなら、ポストモダニズムという信教が人間のあり方の基準あるいは行動選択の規範となり、信ずべきものが世界に存在するという幻想によって旧社会の成長を支えた産業の良心が壊れ、旧社会の客観性や事実をベースとした修正回帰する社会の良い性質が失われる。
金融資本と軍事力だけが実行力のある超国家として生き残り、国民国家も国連もテロと人権、神の大義とを取り混ぜた強奪社会に隠れ、旧社会の秩序のよりどころだった国際調和や国連決議は、すっかり空文となり、過去のものに成り崩れ果てるだろう。
それが支配のためのポストモダニズムであり、ヒトラーの時代からその後援者が長年待ち望んでいたものだ。
そののちに今日プーチンが言う冷戦の勝利者による世界一統原則による政府が実現することになる。既に多くの失敗を重ねているグローバリズムの威を借る市場主義者たちは失敗の原因が既存市場の狭さにあると考えており、地上に唯一の余すところなく占有し尽くした、状態、その原因者と一致する国家、すなわち<開かれた社会>を望んでいるのである。
だからソロスの言う開かれた社会とは、どんなに修正しようとも最終的にはあらゆる可能性を支配者に委ねて閉じる超国家、かつてドラッカーが啓蒙的専制と呼んだ社会になる。

再掲 「事態の緊急性、重大性を鑑みて、政治的に正しいと受け入れられる特殊状況がやってくる。明治維新以降中央集権政府の基礎に対する国民の自衛的反逆は封印され、日本人はすっかりこういうことが苦手な国民性になってしまったが、民族としてはむしろ自力救済の歴史のほうが長い。そうはいっても<道義と想像力に基づいて>信託し判断するのはあくまでも国民自身である。憲法の変更が必要ならば、手続きは踏まなければならない。ただ、今の日本に欠けているのは甲論乙駁の時代沸騰。」(自力救済と日本人)より。ここに自投稿引用した民族的特殊状況への対応と支配のためのポストモダニズムの密輸入を政府が行う時、自力救済を優先するか、支配下の裨益を優先するかによりこの先100年の日本の運命が決まる。これを峻別し、国民がどちらを選ぶのかを嗅ぎ分けられなければ政治家である資格が無い。もちろん日和見の伝承家業として政治家業を選ぶことなど論外。



「ある者は、我々が合衆国の利益を殺ぐような働きをする秘密の徒党だと考えているようだ。私のファミリーと私を国際主義者呼ばわりし、世界中に統合された政治経済の構造=ワン・ワールド構造を打ち立てるため、他の者たちと共謀していると。それがお望みなら、私は明らかに有罪だ。そして、私は、それを誇りに思う」
デヴィッド・ロックフェラー 「デヴィッド・ロックフェラーの伝記」p.405


日経ビジネス「世界がグローバル化した」「フラット化した」という言説のウソ
入山 章栄
2014年11月18日(火)より引用

//世界は「狭く」なってはいない

 先に述べたように、国の間の距離の貿易量への影響についての統計分析は、1970年代から多く行われてきました。ヘッドたちは、過去に発表された103の実証研究から得られた1467の推計値を集計してメタ・アナリシス分析を行いました(メタ・アナリシスについては本連載の2013年12月配信分などを参考)。

 彼らの分析によると、例えば1970年代のデータを使った研究では「距離の違いによる貿易量の変化の弾性値」は平均で0.9となりました。これは国と国の距離が1%ポイント長くなることで、貿易量が0.9%ポイント減ることを意味します。そしてこの弾性値は、1990年代以降では0.95に上昇しているのです。この論文をヘッド達は以下のように締めくくっています。

These findings represent a challenge for those who believe that technological change has revolutionized the world the economy, causing separation to decline or disappear.
 これらの結果は、「技術の進歩により(距離による)『世界経済における国々の間の分断』が減ってきている」と信じている人たちへの、挑戦的な結果といえるだろう(筆者意訳)。

引用終わり//

このようにワンワールドは普通の経済活動では実現しにくいものなのだが、すでにフラットな世界になっているという大きな誤解がメディアや一部の主流学者たちの見識の中にある。

10月24日 2014, 18:56

  ソチでの「ヴァルダイ」会議で、プーチン大統領は「冷戦の勝利者達が、自分達の利益のもと、
全世界の根本的作り直しを決めたとの印象が作り出された」と述べ、次のように続けた―

  「一連の世界の指導者に対し、ここ最近あからさまな脅迫がなされている証拠もある。
所謂『ビッグ・ブラザー』が、自分の近しい同盟国を含めて、世界中を監視するため、何十億ドルも支払っているのは故あってのことだ。

  自分の言うことを聞かない国に対しては、武力を用いたり、経済的圧力を加えたり、内政干渉をし始めている。」

  リア-ノーヴォスチ共和党支持者であるシンガー氏(70)はFOMCをはじめ世界の中央銀行による量的緩和を繰り返し批判している。エリオットの書簡はインフレ統計の数値は「とにかく低過ぎる」とし、こうした過小表示と統計のゆがみの一因である「調整とトリック」をエコノミストらは受け入れていると指摘。そのために統計上の成長率は実際よりも高くなっていると続けた。


ザビエル
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