『老兄、君は知っているだろうが、髪の毛はわれわれ中国人の宝であり、かつ敵である。昔から今までどれほど多くの人が、この頂きのために何の直打もない苦しみを受けつつあったか? ずっと昔のわれわれの古人について見ると、髪の毛は極めて軽く見られていたらしい。刑法に拠れば人の最も大切なものは頭脳だ。それゆえに大辟は上刑である。次に必要なものは生殖器である。それゆえに宮刑と幽閉は、これもまた人を十分威嚇するに足る罰である。髠に至っては微罪中の微罪だが、かつてどれほど多くの人が、くりくり坊主にされたため、彼の社会から彼の大事な一生を蹂躙されたかしれん。 われわれは革命の講義をする時、楊州十日(清初更俗強制の殺戮)とか、嘉定屠城とか大口開いて言ったものだが、実は一種の手段に過ぎない。ひらたくいうと、あの時の中国人の反抗は亡国などのためではない、ただ辮子を強いられたために依るのだ。 頑民は殺し尽すべし、遺老は寿命が来れば死ぬ。辮子【べんつ】もはやとどめ得た。洪、揚(長髪賊の領袖)がまたもや騒ぎ出した。わたしの祖母がかつて語った。その時の人民ほど艱いものはない。髪を蓄えておけば官兵に殺される、辮子を付けておけば長髪賊に殺される。 どれほど多くの中国人がこの痛くも痒くもない髪のために苦しみを受け、災難を蒙り、滅亡したかしれん」 Nは二つの眼を睜って屋根裏の梁を眺め、しばらく思いめぐらしてなお説き続けた。「まさか髪の毛の苦しみが、わたしの番に廻って来ようとは思わなかった。』
魯迅は一九二〇年十月にこう書いた。阿Q正伝が一九二一年十二月であるからこれが下地とも言える。
『しかし痛ましき人生よ!傲岸不屈のペテーフィ*のごときも、ついに暗夜に向かって歩みを止め、茫々たる東方を振り返っているのだ。かれはいう。 絶望が虚妄であるのは、まさに希望と同じだ』
*ハンガリーの革命家詩人ペテーフィ・シャーンドルのこと、彼の叙事詩János Vitéz(勇者ヤーノシュ)は偽りの抵抗武術カポエイラのようなものだ。
和田氏座右の銘「絶望の虚妄なること、希望の虚妄なるが如し」
これは和田勉じゃなくって、魯迅の言葉だったんだな。同じ虚妄なら希望を選ぶ魯迅の決意が現れている。
魯迅などのかつて異民族に支配されていた漢人の世間とは所詮、辮髪のような見た目だけのものだったのだろう。目に見えないものを恐れた日本人とは感じ方が真芯から逆である。狂人日記の人食も幻想ではない。世間不変の法則を信じる日本人には書けないタイプの小説だ。魯迅とは日本人にとってなんだったのだろうか?支配された民族の理解を助ける教養だったのか?エキゾチックな中国趣味だったのか?わたしにとっては漢人の世間(相手に応じて髪型を変えるらしい)に利害はあっても情を通ずというものがないという魯迅学習帳だった。
『想像することも出来ない。 四千年来、時々人を食う地方が今ようやくわかった。わたしも永年その中に交っていたのだ。アニキが家政のキリモリしていた時に、ちょうど妹が死んだ。彼はそっとお菜の中に交ぜて、わたしどもに食わせた事がないとも限らん。 わたしは知らぬままに何ほどか妹の肉を食わない事がないとも限らん。現在いよいよ乃公の番が来たんだ…… 四千年間、人食いの歴史があるとは、初めわたしは知らなかったが、今わかった。真の人間は見出し難い。人を食わずにいる子供は、あるいはあるかもしれない。 救えよ救え。子供……』狂人日記 より(一九一八年四月)