公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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ホンダジェットに学ぶ

2017-09-09 10:32:22 | 経済指標(製造業)


ホンダジェットは営業部隊がいないから40年ジェットに賭けることができた。ホンダの車魅力低下は営業部隊の発言力の干渉による。売れないものを作るのではないかという恐怖が事業者をちじみあがらせる。

成功しか許さない経営管理と成長しか許さない株主にまかせた会社は外形的に商品でありかつ持続する事業体であるという矛盾を抱える。管理職の意識の内実には過去の延長しかない。

ホンダジェットに学ぶべきなのは、中間管理職が過去の延長を次元を変えて延長し、断絶すること。

以下毎日新聞より一部引用
 
『最大運用高度はライバル機より600メートル以上高い約1万3100メートルで、空気抵抗が減って燃費が向上し、最大時速もクラスでトップレベルの782キロを記録。室内の広さもエンジン配置の効果で15%改善した。秀島さんは「見本がない状態で発注する飛行機は信頼が欠かせず、ホンダ・ブランドが生きた」と評価する。
ビジネスジェットは数人から20人乗り程度の小型機で、01年の米同時多発テロ以降、安全性や利便性から企業経営者らの需要が高まっている。

 航空産業への参入は、創業前から本田氏の夢だった。62年に社内報で小型機の開発を宣言。本格的な研究は86年に始まり、子会社「ホンダ・エアクラフト・カンパニー」(米国)の藤野道格(みちまさ)社長らがゼロから作り上げた。藤野社長は「ホンダジェットは例えるなら空飛ぶスポーツカー」と胸を張る。

 エンジンも機体も自社で開発した。主要機器は社外調達するメーカーが多いなか、航空評論家の青木謙知(よしとも)さんは「自己完結性が高いのが他社にはない特徴。設計変更などにスムーズに対応できた」と話す。15年末に米国で初納入され、欧州や中南米、東南アジアに販路を拡大している。』
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