美の前に立って人はまず生理的に息を飲む。息を飲んだままおのれの頭脳をフル回転して似たようなものを検索するが、遂に負けを認めるまでの数秒が素心との対面である。
なぜ美が必要かと言えば、素心を映すためです。「素心を見つめるには、情動の変化と限界に注意を向けること、あるいは理の断絶と限界に注意を向けることが肝心。理の限界が妙であり、情の限界が美である。妙や美は素心を映す鏡のようなものであり、妙美は理の断絶と情の臨界を通じて己の幻想性自覚を促す電撃である。」
つまり絶対というものに出会う感覚を知ることによってはじめて素心を知るのです。