公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

はたして良いモノ造りの時代は終わったのだろうか?

2017-06-21 07:12:22 | 経済指標(製造業)
『米国レクサスの副社長のトニー・藤田は日本でのレクサスブランド展開を前にしてトヨタ本社に戻り、「効率追求のトヨタイズムから離れよ。クルマをモノとして売るな」と説いたが、営業マンたちはみなポカンとしていたという。。。』ノンフィクション作家加藤紘


写真のLC500は おそらく14,000,000円
はたして良いモノ造りの時代は終わったのだろうか?

本当にトニー・藤田さんの言う通りならば、所有から離れて、完全レンタルでもいいはずだが、そうはならない。レクサスRXは2日レンタル使用で80,000円ほど。200日乗っても800万円程度。富裕層なら100日ほど乗って1年で飽きる車を6,280,000円も払って持つ意義はどこにあるのかと思う。ましてやRXでも十分なのにLC500に1400万円も払う気はおきないと思う。持っていることに拘束されるライフスタイルが好きならいいけれど。

それでも買う理由をなぜなのかをよく考えれば、自動車所有は没落貴族の領地の拡大(移動の安全と利便)と言う地位承認の代替行為なのだから、美女と威風堂々たる車の組み合わせは、単なるライフスタイルではないのだ。

19世紀から20世紀に変わる頃に領地を失った貴族階層の代替領地であり、成り上がり振興富裕層の地位象徴でもあった、初期の車が社会的二重象徴の歴史遺産であること。こうしたゲシュタルトは、無限の未利用領地が発見されるか成り上がりが消滅しない限り消えないと思う。火星の土地が手に入るのなら火星に住むかどうかよく考えてみよう。
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