モータリゼーションは真の電気モーターになろうとしているがちょっと待て。貴族的価値とはかつては領地所有 夏冬の邸宅生活 生活のためではない狩り などであったが それぞれ20世紀までに新しい価値に代替されて、ゴルフや競馬そしてモーター移動やプライベート高速移動の特権になっていったと同時に貴族的生活価値の大衆化という流れは古くは紅茶に砂糖を溶かして飲む習慣からモータリゼーションまでより不要な高級消費生活が大衆化していった。便利と安易に衛生と時短が加わった生活がスタンダードになることで、より多くのエネルギーを消費して、より多くの需要を生み出してきた。しかし電気モーターは貴族的需要を生み出してはいない。グレタのようないわゆる環境貴族は大衆の憧れではない。今、大衆の憧れは社会の上層やトップにはいない。何十億ドルも稼ぐベンチャー企業の成功者でも、アーティストでもない。エネルギーと食、安全と信仰によって不安定な社会からコミューンを創って自立している強靭な個人である。現代はこういう人々が本当の貴族である。彼らは隠れている。電力グリットの外で自立自給した生活をしていることが現代の貴族である。
マスバランス方式などという『頭のいい奴』がこねくる回したインチキ商品表示は尊敬もされず高級な憧れも伴わないのだ。
19世紀から20世紀に変わる頃に領地を失った貴族階層の代替領地であり、成り上がり振興富裕層の地位象徴でもあった、初期の車が社会的二重象徴の歴史遺産であること。こうしたゲシュタルトは、無限の未利用領地が発見されるか成り上がりが消滅しない限り消えないと思う。火星の土地が手に入るのなら火星に住むかどうかよく考えてみよう。