公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

父性の絶滅と肯定

2017-05-21 08:53:18 | 日本人
『今日本人が、日本全体が、父性というものを失っているけど、父性というものを見直してほしい。これは戦争経験が大きい。わずか70数年前に戦争というもろに力の世界で何百万人が殺された。戦争は父性を肥大化させた世界。父性と父性がぶつかり合った戦争は何も生まず、ただ父性に対する拒絶反応、トラウマを生んだ。父性は決して悪いものじゃないのに、日常生活の隅々に父性否定みたいな感覚が浸透してる。父性の強さよりも優しさを求める。』藤原新也 東洋経済

父性を学問的に有名にしたのはエディプスコンプレックスというフロイトの神話に取材した父殺し、母娶りの運命であるが、非常に有名でありながら理解するのは難しい概念である。これがはっきり説明できればフロイトは卒業していい。母子の結びつきが全てであったのに、先行する父親がいるという運命は、無意識と意識の境目の自覚に相当する。言語化ということが意識の夜明けと考える現代心理学の主流派が整理した考えによれば、言語的私の始まりと非言語的父性による去勢脅迫が関係するという二重の意味で古典が解釈される。

父性という概念は曖昧であるから、戦争の原因まで父性にされている。藤原新也が言うのは家父長制と大家族戸籍制度があった時代の戸主の権威主義をイメージしているのだろう。GHQが破壊したかった地主階級の地方支配、故にこの熱心な所有関係破壊は激しかった。なぜかその戸主決定権の大きさが戦争の原因であるかのような戦後教育の成果が父性、頑固オヤジの絶滅と相成なった。

この先日本人はどうやって再び父性を肯定するかといえば、家父長制でないことは明らかで、母が決して子の為にしないこと、死に向かう父を示すことしか残されていない。曖昧な幸福の延長では人間は人生に優しさ以上の苦しみを置かない。人の苦しみとはそのような甘いものだけではない。生死の境界、去勢の脅迫を示すことによってのみ優しさだけではない父性の輪郭が浮かび上がる。絶対の禁止と遮断は言語の到達できない神話なしに合理的に持続できない。

神話の再生は日本人に可能だろうか?神話には、【清き公の誠。親しき家族の平和。死を賭すべき名誉】が含まれなければならない。戦後72年を経て特攻は既に神話の一部である。しかしそれさえも日本人から去勢する米国の無慈悲は現代の日本人にとってのオイデプスである。
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ちなみに私という現象を集合論で試みに描くならば、はじめに私は元として散らばる無関係で無因果な意識点を一つの私に囲む言語作用《それが私という指示作用》であり、その本質はただ空集合の確信あるのみである。関数である言語作用自体《ゾンビの私》をその集合の元とするから、無限に理解できないものとなる、この場合は神話。
さらに輪をかけてややこしいことに、関数に過ぎない神話の普遍性を私の外に類的存在として延長する《一族の私》。これが一族あるいは国家、あるべきと信じる政治的立ち位置の幻想である。

二項演算が群を作るとき、人間は情報の創造と交換により類的存在となる。

死が近づくと最終的に私という現象は実在の社会関係の中に解消➖交換されたかのような幻想を抱き物象化され、金と権威と肉親の愛が続くことを信じたまま人間は死んでゆく。

死が人間の幻想を終わらせる唯一の方法である限り、生きている人間は言語を起源とする私の神話から解放されることがない。唯一のできることは生きながら死ぬ。しかし若い肉体を持つその身に生きながら死ぬ道は険しい。


追補2017.5.21
 『陛下は、有識者会議の議論が一代限りで退位を実現する方向で進んでいたことについて「一代限りでは自分のわがままと思われるのでよくない。制度化でなければならない」と語り、制度化を実現するよう求めた。「自分の意志が曲げられるとは思っていなかった」とも話していて、政府方針に不満を示したという。』このように日本の父性の代表陛下は死後の皇統のあり方へ退位を延長して考えていたが、司祭として以上の期待を持たない政府と知識人たちに幻滅している。退位後一人のキリスト教徒として洗礼を受けて生きようとしている陛下の本心ー皇統皇族の信教の自由の制度的保証ーを知れば、日本人は驚愕するとともに自由のない一族に同情することだろう。宗教的要請を軽く見てはいけない。世界の中心を敵に回すことになる。 皇統の意義についてはここを読めば良い
















濱尾文郎 元枢機卿

『2007年に教皇が使徒的勧告「サクラメントゥム・カリターティス」(愛の秘跡)を出して、典礼におけるラテン語の祈りやグレゴリオ聖歌のより広範囲な使用を奨励したが、それに対して公然と反対の立場を示し、今上天皇が皇太子の頃にラテン語を教えていたにもかかわらず、「それはアジア人には不可能です。誰もラテン語など分かりません。ほとんどの司祭が学んでおらず、ラテン語が分かりません。全く欧州中心で行き過ぎです」と主張し、日本のカトリック教会でのラテン語を使用した典礼に反対する立場を取り続けた。』

日本人枢機卿は彼が肺がんで死去して以来不在である。気骨のある人だったのだろう。

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