公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

『我、自閉症に生まれて』テンプル・グランディン

2017-05-21 21:57:00 | 今読んでる本
「p145
原則的にセラピストたちはこだわり甘やかすことに反対する。しかし自閉症的児童が持っている数多くのこだわりは、超活動的な神経組織の興奮を、減退させる必要性と関わっているのである。こだわりに集中することによって、彼らが対応できない他の刺激をブロックするのである。」


テンプル・グランディンTED講演

非常に稀有な本かもしれない。著者自身4歳になるまで言葉を発することはなかった。一般には学習能力の障害となる自閉症的行動が、学習の動機となることは難しい。自閉症的行動は繰り返すという共通点を持っている。時にテープレコーダーのようなあだ名が作られ苦労する。彼女は形容矛盾するようであるが、大変勇気のある自閉症的児童だった。読んでみるとどこかに児童だった頃の自分自身を見出すことだろう。

たとえ自閉症でなくても学習障害の理由に独自の論理にこだわりがある場合がある。個人的に経験したところでは、私は割り算の余り処理が納得できなかった。34を7で割ると学習上は4を立てるが、余りは6。しかし5を立てれば、余りは1足りない。どちらが正解に近いかといえば。5であろう。しかし学校では4を立てる。私はここが納得できなかった。今なら[MOD7]34=-1= [MOD7] 6に過ぎないことで、そういう上位概念を教えてくれる教師は当時自分の周りにはいなかった。知性の萌芽が枯れた瞬間である。


追補2017.5.21
発達障害nhk番組がTV地上波で生放送されているようだが、多数派がいなくなるわけではないので、むしろハンディコレクトネス調整し続けると多数派の価値観が少数派になる。例外に寛容であればそれで済むことなのに、社会システム論上は例外を加えなければならないのに日本は規範偏向した官僚主義を下から補完するが当たり前の社会になっている。これではみんなと同じでなければ苦労する社会は無くならない。免疫システムは全身が同じように進みすぎないサブシステムが働いている。今の日本社会はコンプライアンスから飲み会で重要な事を決めないので、サブシステムがうまく働かない。故に、例外を認められにくい。特異点は特異点として扱うこれが大事。

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