2010年末に2011年を予想した時、「ひとたび危機が成り立てば、急速に政治の流れが、無方向に地方の叛乱となって結晶化してくる。核となるのは東京都だろう。」ということと「正規雇用は2012年までもどらない。雇用が戻ったとしても、インフレーションに突入して給与所得が蒸発する。つまり国内民需は回復しない。強烈なスタグフレーションと通貨安と金利上昇、財政不安が渾然とし、経済見通しを悪くする。」と見ていた。思いもしなかった東日本大震災と原発災害があり、前半部分はほぼ当たっていた。後半部分はやっと起こり始めた。このように情報や知識の価格が急速に安くなることによって、今日の政治経済の状況は普通の個人でも予想がつくようになった。
予想に価値があるのは情報に固有名詞と日付が固定されるまでに、非常に有力なこれらの決定要因を知っているか、知らされる立場にいるという希少性から生じる。しかし凡庸な個人がこの程度予測できるのなら、予期することにほとんど価値がなくなったということだろう。予測できていなかった欧州経済危機などは一部の人は知っていたのかもしれない。いずれにしても資本主義は2年前から大きな信用と通貨の不安と危機に飲み込まれようとしている。
政治は相変わらず反省がない。経団連の会長は極度の近眼で、マスコミは偏向を腐敗で包み隠して、偽物と腐れものを売って自己崩壊している。総じてくだらないのが、こうした日本のエスタブリッシュメント達である。偶々、勤勉な国民に救われているだけで自動運転されていることに気づいていない。
2010年私はこのように考えていた。
『(わたしの考え)
平成維新はどこから始まったか?準備はすでに始まっているのか?
第一段階 思考枠組みの崩壊
第二段階 危機の共有
第三段階 外圧
第四段階 統治能力の低下、君主軽蔑
第五段階 内戦
およそこのような筋道で明治維新は起こった。ファシズムまでとはゆかないが、トマス・ペインのような、ある種の旧態リセットを求める啓蒙主義が立ち上げられなければ、日本国がとことん貧窮(この2007年~2008年の為替差損で103兆円の国富が消えた)危機を経験するだろう。』
2年経過して、日本国民の一部は思考の枠組みの崩壊に気づいた。311以降まずマスコミの嘘を見ぬいた。この国にトマス・ペインはまだ現れてはいない(2014年加筆)これまでの知識人の政府=政治家批判が的を射ていないことに。計画停電を見れば明らかなように、国家を政治が動かしていないこと(官僚自動運転)に気づいたからだ。
国家が環境の激変(2014年、中国と韓国の同盟、ゼロG=米国不在の成長の分前を決める賭場に胴元がいない)、強奪社会に急変すること(2014年のクリミア、ガザ)適応できていないことにも気づいたが危機はまだ国民に共有されていない。本当の外圧(2014年TPP交渉と国内法の超越による主権侵害)がまだ到来していないからだ。通貨切り下げ(2013~2014年アベノミクス黒田総裁による日銀緩和)競争に日本が参入することを米国がやすやすと許すはずがない(2014年 意外にも米国は円安を簡単に許した)。啓蒙主義が自民の右から飛び出してくるかもしれない。あるいは維新が分裂して自民よりも国益主義的主張をする道具化によって政治バランスを取ろうとするだろう〈2014年そのようになった)。まず第一段階は超えた。国民催眠がとけて現実が見えてきたのだ。
さて2013年は予測はやめておこう。予測に価値のある時代ではない。価値を想像しよう(漢字の誤りではない)。ゼロからの価値ほど希少なものはない。既存の価値に小さな価値を付け加えることで創造の窒息に向かうより想像で飛び越えてゆく時代だから。
予想に価値があるのは情報に固有名詞と日付が固定されるまでに、非常に有力なこれらの決定要因を知っているか、知らされる立場にいるという希少性から生じる。しかし凡庸な個人がこの程度予測できるのなら、予期することにほとんど価値がなくなったということだろう。予測できていなかった欧州経済危機などは一部の人は知っていたのかもしれない。いずれにしても資本主義は2年前から大きな信用と通貨の不安と危機に飲み込まれようとしている。
政治は相変わらず反省がない。経団連の会長は極度の近眼で、マスコミは偏向を腐敗で包み隠して、偽物と腐れものを売って自己崩壊している。総じてくだらないのが、こうした日本のエスタブリッシュメント達である。偶々、勤勉な国民に救われているだけで自動運転されていることに気づいていない。
2010年私はこのように考えていた。
『(わたしの考え)
平成維新はどこから始まったか?準備はすでに始まっているのか?
第一段階 思考枠組みの崩壊
第二段階 危機の共有
第三段階 外圧
第四段階 統治能力の低下、君主軽蔑
第五段階 内戦
およそこのような筋道で明治維新は起こった。ファシズムまでとはゆかないが、トマス・ペインのような、ある種の旧態リセットを求める啓蒙主義が立ち上げられなければ、日本国がとことん貧窮(この2007年~2008年の為替差損で103兆円の国富が消えた)危機を経験するだろう。』
2年経過して、日本国民の一部は思考の枠組みの崩壊に気づいた。311以降まずマスコミの嘘を見ぬいた。この国にトマス・ペインはまだ現れてはいない(2014年加筆)これまでの知識人の政府=政治家批判が的を射ていないことに。計画停電を見れば明らかなように、国家を政治が動かしていないこと(官僚自動運転)に気づいたからだ。
国家が環境の激変(2014年、中国と韓国の同盟、ゼロG=米国不在の成長の分前を決める賭場に胴元がいない)、強奪社会に急変すること(2014年のクリミア、ガザ)適応できていないことにも気づいたが危機はまだ国民に共有されていない。本当の外圧(2014年TPP交渉と国内法の超越による主権侵害)がまだ到来していないからだ。通貨切り下げ(2013~2014年アベノミクス黒田総裁による日銀緩和)競争に日本が参入することを米国がやすやすと許すはずがない(2014年 意外にも米国は円安を簡単に許した)。啓蒙主義が自民の右から飛び出してくるかもしれない。あるいは維新が分裂して自民よりも国益主義的主張をする道具化によって政治バランスを取ろうとするだろう〈2014年そのようになった)。まず第一段階は超えた。国民催眠がとけて現実が見えてきたのだ。
さて2013年は予測はやめておこう。予測に価値のある時代ではない。価値を想像しよう(漢字の誤りではない)。ゼロからの価値ほど希少なものはない。既存の価値に小さな価値を付け加えることで創造の窒息に向かうより想像で飛び越えてゆく時代だから。
このようにして水瓶座の時代に突入した。