公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

窮鼠のたしなみ

2021-06-01 12:07:00 | 窮鼠の嗜み

一般意味論

 
 
窮鼠のように混乱した民衆に対して武装した預言者の必要性を説いたのは、かのマキャベッリだが
メディア洗脳に対抗して武装をするには、抽象論や抽象スキームで攻撃してくるメディア洗脳に一般意味論の作り出すワクチンの事前投与が必要。これが現代版『武装セシ預言者』の実践性である。
 
本当の実践的知識とは神の知識ではなく、地上の知識である。一般意味論はできる限り知識でないものを排除して、知識を自ら得たかのような錯覚を植え付けようとする知識優越者(病原体保持者)たちと戦うための知識エンジニアリングである。《思考を観測する思考》こそが科学としての哲学である。一般意味論はそのような意味で哲学の一分野である。
 
具体的に学んで欲しい。窮鼠の敵は猫。窮民の敵は権力者。
最強の防疫は疫病保持者、権力と金とラッパを持つ人の滅亡であろう。
しかし最も危険な疫病はわれわれの中に潜み眠る疫病であり、時にそれらは正義と道義の外被をかぶって人格的に登場する。
正義と道義は庶民の窮状を見かねて独裁を要請する。これがわれわれの中に潜む疫病である。
窮鼠はたしなみとしてこういう要請に熱狂しないこと。オーダーの声を聞くことが肝心。
 


 
 
そのためには窮鼠は言語の非対称性を学んでおくこと。
彼らが使うAという用語はAの実体ではない。パンデミックは言葉であり本当のパンデミックは検査によって作られた現実に過ぎない。
巧妙な道徳の要請は象徴的事件を何度も何度も使う。
彼らは複雑な実体を知るより象徴を糸口に単純化を好む大衆の性質を承知している。
故に彼らが繰り返し使う映像は嘘である。
 
 
 

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