公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

今読んでる『やくざと芸能と 私の愛した日本人』 なべ おさみ

2017-09-12 21:41:03 | 今読んでる本
『やくざと芸能と 私の愛した日本人』なべおさみ(イースト・プレス)
2014年

さてどこまでが事実なのか、ネタなのか?年齢的にも曖昧になる頃でもあるし、地頭が良いのかほとんどが記憶による逸話なので信憑性はそれぞれ検証が必要かもしれない。北海道5区の選挙の小針 暦二(こばり れきじ、1914年1月1日 - 1993年11月7日)の池田大作逸話は本当なのだろうかと疑ってしまう。誰にも確かめようがないが鈴木宗男はそれで初選挙を当選できたのならば鈴木宗男自身が試金石だろう。

今の定義ではなべおさみの過去に起こったことは大半が密接関係者のシノギということになる。堅気をどう定義するかというところ、すでにそこからなべおさみの感覚はシロウトとは違うのかもしれない。若い頃から石津謙介や安藤昇の舎弟花形敬に共通する漢の匂いにヤクザとなるのが自分の必然と見ている。

芸能に欠かせない色気と説得力はなべおさみの定義するやくざ=嘘部の要素なのかもしれない。なべが愛したのは日本人だけではない。クズ金属拾いの朝鮮人の大人友達から裕次郎、勝新太郎、水原弘、美空ひばり、クレージー、ドリフターズらトップスターを並揃える芸能事務所の渡辺プロの総帥まで、金の匂いとやくざ気質に吸い寄せられた腰巾着のなべおさみの人生は稼いでは失うサイクルの連続。面白いが蘊蓄風の虚飾交りを警戒してしまう出来過ぎの本。中には入れなくても、「おそめ」も白洲次郎もでてくる。そんな昭和の記憶地図をわすれてしまわないように読んでみたらいい。

最後までクシュの意味は不明だった。


なべおさみ 1 9 3 9年東京生まれ 。本名は渡辺修三 。 1 9 5 8年明治大学演劇科入学後 、すぐに三木鶏郎門下となり 、在学中からラジオ台本などを書く 。その後 、水原弘と共に渡辺プロダクション入りし 、水原や勝新太郎の付人を務め 、水原退社後はハナ肇の付人となる 。 1 9 6 2年に明治大学卒業 。 1 9 6 4年 、日本テレビ系列 「シャボン玉ホリデ ー 」でデビュ ーを果たす 。 「安田ぁ ー ! 」と怒鳴り散らすコントが人気を呼び 、一躍スタ ーダムにのし上がった 。 1 9 6 8年 、山田洋次監督映画 「吹けば飛ぶよな男だが 」で主演を務め 、映画俳優としても地位を確立した 。その後 、数多くのテレビ 、ラジオ 、映画 、舞台で活躍するも 、 1 9 7 4年に渡辺プロダクションを退社し 、森繁久彌の付人に 。 1 9 7 8年から日本テレビ系列 「ルックルックこんにちは 」において 「ドキュメント女ののど自慢 」の司会を務め 、番組一の人気コ ーナ ーに成長させた 。 1 9 9 1年 、いわゆる明大裏口入学事件により 、芸能活動を自粛 。現在は 、舞台や講演活動を中心に活動 。著書に 『七転八倒少年記 』 『病室のシャボン玉ホリデ ー 』など 。お笑い芸人のなべやかんは実子。
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