社会改造や革命という維新プロセスを論理的に考えれば、既存国家制度や統治秩序が不透明に一時停止することは避けられない。これを制度の修正によって議会を通じて少しずつ行うとしても、既存秩序の利害関係者、ことに官僚や利得者にとっては存続基盤の停止となる。企業ならば上場廃止時に株価が暴落する。外国なら高級官吏は失職する。改造 維新プロレスとはそういうことが当然含まれている。
予算は停止するから維新御一新なわけで、高級官吏の失職も既得権益喪失もない社会改造を国民に約束することは、改造課題が現在の統治において明確に存在しても現状支配を名を変えて強化するという維新構造の裏約束がある裏切りの証拠だ。既存左翼は信じることが出来ないかもしれないが、社会改造も国民主権の議会制民主主義も、丸山真男が奇しくも永久革命と言ったようにアナーキーの一種であることに19世紀も21世紀も変わりはない。日本人が自力救済という選択肢を忘れているだけのこと。
ミハイル・バクーニン(Михаи́л Алекса́ндрович Баку́нин、1814年5月30日 - 1876年7月1日)のアナーキー概念の優れたところは、ドイツ左派の一貫しない歴史を見抜いた上で、マルクス主義の権力奪取目的の政治行動宣伝を批判している点にある。
ミハイル・バクーニン(Михаи́л Алекса́ндрович Баку́нин、1814年5月30日 - 1876年7月1日)のアナーキー概念の優れたところは、ドイツ左派の一貫しない歴史を見抜いた上で、マルクス主義の権力奪取目的の政治行動宣伝を批判している点にある。