当に読み始めたばかりである。しかし74歳の老人の明治百年にどうしても間に合わせたかった熱意が前書きから伝わってくる。昭和42年1月の脱稿のようだが、元首論として仕上げるために三つの事を等閑視したと正直に書かれている。水戸藩内の内訌、つまり内ゲバ、薩長同盟、江戸開城などに関係する事だ。したがってこれは歴史書ではない。スメラミコト元首論の三天皇による再構成された祭祀政体に国民が支配されるのではない、人倫の頂点に立つ元首論の完成を目指している。寧ろ結論ありきから書かれた日本人の自己確認を求めた51年前のイデオロギーの書である。
発行所 天皇論刊行会
昭和42年2月11日 建国記念の日 今日が出版51周年、これも何かの巡り合わせだろう。
天皇論第三部 「明治天皇論」
東京都千代田丸の内1ー6 東京海上ビル1407号
会長 德川義親(とくがわ よしちか/ぎしん、1886年10月5日 - 1976年9月6日)は、尾張徳川家第19代当主、政治家、植物学者、狩猟家。戦前の侯爵・貴族院議員で、第25軍軍政顧問。戦後は社会党を支援して党顧問となるが、公職追放を受けた。日ソ交流協会会長。戦前マレー半島で虎狩りをしたことから虎狩りの殿様として親しまれた。自伝に「最後の殿様」がある。
発行責任者 三上 卓
三上 卓(みかみ たく/たかし、1905年3月22日 - 1971年10月25日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中尉。国家主義者。第二次世界大戦以前の五・一五事件、および戦後の三無事件の双方に参加した人物として知られる。著名な弟子として野村秋介がいる。
発行所 天皇論刊行会
昭和42年2月11日 建国記念の日 今日が出版51周年、これも何かの巡り合わせだろう。
天皇論第三部 「明治天皇論」
東京都千代田丸の内1ー6 東京海上ビル1407号
会長 德川義親(とくがわ よしちか/ぎしん、1886年10月5日 - 1976年9月6日)は、尾張徳川家第19代当主、政治家、植物学者、狩猟家。戦前の侯爵・貴族院議員で、第25軍軍政顧問。戦後は社会党を支援して党顧問となるが、公職追放を受けた。日ソ交流協会会長。戦前マレー半島で虎狩りをしたことから虎狩りの殿様として親しまれた。自伝に「最後の殿様」がある。
発行責任者 三上 卓
三上 卓(みかみ たく/たかし、1905年3月22日 - 1971年10月25日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中尉。国家主義者。第二次世界大戦以前の五・一五事件、および戦後の三無事件の双方に参加した人物として知られる。著名な弟子として野村秋介がいる。
「殿様の訓み方は、屋敷の外部の者はトノサマと言い、屋敷の家族、家来といった内部の者は、トノサンという。サマをサンというのは三河以来のよび方である。」司馬遼太郎 胡蝶の夢