公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

朝鮮宥和の条件 任鍾晳(イム・ジョンソク)というエージェント

2018-02-11 07:22:05 | カウンター・グレートリセット
追補

文在寅大統領にとって致命的なのは、青瓦台が組織的に動いた蔚山(ウルサン)市長選挙介入事件だろう。この事件ではイム・ジョンソク前青瓦台秘書室長が捜査のターゲットになっており、その関与が明らかになれば、「イム・ジョンソクだけでなく、文在寅本人の弾劾と逮捕も視野に入る」(韓国人ジャーナリスト)と言われている。


 2017年に青瓦台・民情首席室の特別監察班が柳氏の不正情報を入手して監察を行ったが、上層部の指示で監察が打ち切りとなったとの疑惑が持ち上がっている。当時はチョ国(チョ・グク)前法務部長官が民情首席秘書官を務めていた。
 同地検は「軍事上の秘密の保持が求められる大統領秘書室の家宅捜索はその責任者の承諾が必要だ」として、「対象機関の特殊性から、家宅捜索の方法は対象機関の協力を受け、任意提出を受ける形で必要な資料を確保する」と説明した。
 家宅捜索は午前11時半ごろに始まり午後5時35分ごろに終了した。検察側は、どのような物証を確保したかなど家宅捜索の結果は刑事事件公開禁止の規定を理由に明らかにしなかった。
 同地検は17年当時、柳氏への監察がどの程度まで進められていたかなどを確認できる資料や報告書などを確保しようとしたようだ。柳氏への監察が原因不明の理由で打ち切りになったとみて、監察をもみ消した人物の特定に力を入れている。
 また、チョ氏や与党「共に民主党」のシンクタンクである民主研究院の白元宇(ペク・ウォンウ)副院長(当時は民情秘書官)らが会議を行い、柳氏の監察の打ち切りを決めたとの疑惑についても調べている。
 同地検は昨年12月、特別監察班が民間人の監視・情報収集などを行っていたとの疑惑に関連し、民情首席秘書官室の反腐敗秘書官室と特別監査班の事務所などを家宅捜索した。
 昨年の家宅捜索は、特別監察班の捜査官だったキム・テウ氏が疑惑を暴露し、最大野党の自由韓国党が当時の大統領秘書室長だった任鍾ソク(イム・ジョンソク)氏やチョ氏、朴炯哲(パク・ヒョンチョル)反腐敗秘書官らを職権乱用などの疑いで告発したことを受けて行われた。
"President Moon responded by saying that the two sides should work on establishing the right conditions to realise the meeting," the South Korean spokesman Kim Eui-kyeom said. BBC2018、2、11


Congratulations to the Republic of Korea on what will be a MAGNIFICENT Winter Olympics! What the South Korean people have built is truly an inspiration! 2018、2、8

追補2018.10.24
 【ソウル=桜井紀雄】韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は23日、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長と9月の首脳会談で署名した「9月平壌共同宣言」と南北軍当局が交わした「軍事分野合意書」について国会の同意を得ることなく、閣議決定だけで批准手続きを終えた。》』産経新聞社

憲法違反じゃないのか?


出来事の順序を変えるとトランプも南北統一支持に見える。本当に南北が統一国民国家を作りたいなら言語からやり直す必要がある。歴史認識も同じ嘘に統一するのが条件になる。馬鹿げている。2001年には議員の身分にもかかわらず、米大使館から入国ビザ発行を拒否されたイム・ジョンソクの計略通りに動く受動人形文在寅大統領を米国は許容できないだろう。


産経
『【ソウル=名村隆寛】ソウルの韓国大統領府で10日に行われた南北首脳級会談には、北朝鮮側から金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長や金正恩朝鮮労働党委員長の妹、金与正(ヨジョン)党中央委員会第1副部長ら4人、韓国側からは文在寅大統領ら5人が臨んだ。

 会談の冒頭で目立ったのは金与正氏の表情だ。金永南氏に続き文氏から握手を求められた金与正氏は、握手の瞬間こそは笑顔を見せたものの、直後には一転し冷たい印象を与えた。まるで、相手を見下しているかのような冷淡さも漂わせていた。

 金与正氏は9日の韓国到着の際に、空港の貴賓室で金永南氏に席を譲ろうとするなど、優しい表情を見せた。この日の会談でも、北朝鮮代表団には笑顔で応じた。しかし、宿所を出る際などは一貫して周囲に冷たさを感じさせた。必要な時以外は表情を変えず、安易に笑顔を見せなかった。

 文氏ら韓国側は、そうした金与正氏の態度を全く気にせず、金日成主席直系の孫娘を手厚くもてなした。韓国側からは実質ナンバー2の任鍾●(イム・ジョンソク)大統領秘書室長、趙明均(チョ・ミョンギュン)統一相、情報機関トップの徐薫(ソ・フン)国家情報院長らが会談に参席した。

中でも任氏は学生運動の活動家出身で、1989年に平壌で開かれた世界青年学生祭典への韓国人女子大生派遣を主導した人物。国家保安法違反で逮捕され3年半の服役歴があり、韓国では親北派とみられている。

 文氏や任氏ら、北朝鮮にとって物分かりのいい人物との会談を終えた金与正氏。南北首脳会談を呼びかけられ、手放しで喜ぶ韓国首脳部の姿に、兄、金正恩氏の切り札としての任務は成功したと確信していたとしても不思議ではなさそうだ。

●=析の下に日』


任鍾晳(イム・ジョンソク、1966年4月24日 - )は大韓民国の元学生運動者の出身政治家。

略歷
1985年:龍門高等学校卒業
1986年:漢陽大学無機材料工学科入学
1987年〜1989年:漢陽大学敎內音樂club開闢創立と活動
1989年:漢陽大学総学生会長
1989年:全大学生協義会3任議長
1991年:林秀卿(イム・スギョン、1968年11月6日 - )は大韓民国の元学生運動家出身の政治家。韓国外国語大学校フランス語学科卒。カトリック教徒。別名、「統一の花。」訪北朝鮮事件の関与している拘束 国家保安法違反で有罪、三年半服役。
1994年:青年情報Center創立
1995年:漢陽大学無機材料工学科卒業
1999年:新千年民主党の結党準備委員
2000年:第16代国会議員(新千年民主党、ソウル城東区)
2004年:第17代国会議員(ウリ党、ソウル城東区を)
2004年:ヨルリウリ党の院内代弁者
2008年:統合民主党ソウル城東区を党協委員長
2013年:朴元淳ソウル市長キャンプ総括チーム長
2014年:ソウル特別市政務副市長
2017年5月10日〜:大韓民国大統領秘書室長


『WEDGE REPORT
2017年5月15日
『親北』に傾くのか? 韓国新大統領の右腕「秘書室長」の怪しい経歴
崔 碩栄 (ジャーナリスト)

(略)

1966年生まれの任鍾晳は漢陽大在学中の1989年、全国的規模の学生運動連合体である「全大協」議長の座に上る。彼の名前が国民の頭の中に刻みこまれたのは1989年北朝鮮の世界青年学生祝典に韓国代表として(当時の)女子大学生林秀卿氏(49)派遣した事件である。交流および訪北が禁止されていた当時、林秀卿氏が平壌で金日成と抱擁する姿は、北朝鮮の体制宣伝のための道具として利用され、韓国社会に大きな衝撃を与えた。同時に、林氏を派遣した全大協のリーダー、任鍾晳の名前も全国的に知られるようになった。

 この事件を受け、警察は任氏を指名手配しその行方を追った。長期間の逃避生活の果てに逮捕された彼は、国家保安法違反で懲役5年の実刑判決を受けたが、3年半の服役後赦免により1993年出所。1999年金大中政権の復権措置の後、金大中大統領が訴えた「若い血輸血論(若い人材を登用する)」により与党民主党の候補として国会議員に出馬、当選した。

 以後、盧武鉉政権では与党「開かれたウリ党」の代弁人、朴元淳ソウル市長選挙ではキャンプ総括チーム長を務めた後、2014年からは朴元淳ソウル市長のもとで政務副市長の任に就いている。政界で名前が登場する度に過去の経歴が指摘されたが、その時は「主役」まではいえないポストだったためまだ「憂慮」のレベルでとどまっていた。

 しかし、彼の「経歴」から「親北」というイメージは払拭されず、2001年には議員の身分にもかかわらず、米大使館から入国ビザ発行を拒否されたことがあった。今後の文大統領訪米の際、果たして米国はどう対応するだろうか。

 また、服役中に手紙交換で知り合い後に結婚した妻のキム・ソヒ氏は2004年から日本にある朝鮮学校へ本を寄贈する運動に参加し、朝鮮学校を何度も訪問している。これは朝鮮総連との「パイプ」、少なくとも「了承」がないと不可能なことだろう。

任氏が秘書室長に内定したというニュースはなぜ韓国内で大きな話題となったか。

 それは文大統領が「親北」だという批判はあったものの、まさか従北勢力の核心とも言われる任鍾晳を側近として任命するとは、想像もしていなかったからである。韓国では政治家が「親北」だと名指しされた場合、イメージを払拭しようとするのが一般的である。側近としてイデオロギー性向が強くない人物、中道性向の人物を登用し、思想的に均衡感覚のとれた人間であることをアピールする。偏った思想の持主でないことを示し、国民を安心させるためだ。

 ところが、文大統領は自分よりはるかに「親北」と分類されている任氏を起用しようとしている。これは事件とも言っていいレベルの選択だ。そして文大統領の任氏に対する信頼の大きさを示すとともに、「従北」という批判は気にしないという宣言ともみることができる。

任氏の内定ニュースが流れた10日、韓国のネット上が騒然となる出来事が起きた。過去、任氏が書いたものと見られる文章がSNSに出回り、国民にショックを与えたからだ。それは2010年労働解放実践連帯というサイトに任鍾晳と名前で書かれた文章で、金正日の「先軍政治」と「同士愛」を礼讃する内容だったが、「親北」というより独裁者を崇拝する「信仰」とも取れるような内容だった。

 文章が掲載されていた労働解放実践連帯のサイトにはアクセスが集中し、トラフィック超過の為にサーバーがダウン、11日15時現在アクセスが停止されていたことからも韓国人がどれだけの驚きをもってこの文章を読んだかがうかがえる。

 ただ、この文章を書いたのが本当に本人かどうかは定かではない。それについてはマスコミの追及もなく、本人が否定も肯定もしていないからだ。

 ところで、任氏は金正日死亡時に弔意文を送っている。これに対し北朝鮮が返礼をする際、彼の名前に「任鍾晳先生」と敬称をつけ、礼を尽くしている。韓国大統領や政治家に対しても「先生」という敬称をつけることがない北朝鮮である。

 例えば、韓国では「親北」と批判されることがある金大中前大統領さえ、就任初期は北朝鮮の労働新聞から「クズ」呼ばわりされていた。それに比べたら「先生」は北朝鮮にとっての彼の位置づけを窺い知ることのできる事例ともいえるだろう。』
2017、5



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今読んでる『明治天皇論』橘 ... | トップ | 虹蜺 梅が咲く »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。