昭和四年の杉山茂丸の著作 中古は少々高いが、購入
ヒンターランドという概念は、今は全く忘れられてしまった国防概念だが、植民地主義が旺盛だった19~20世紀には国際的に重要な概念だった。その定義は立場と戦略により変化する。当時の満州、蒙古、シベリアもまた日本にとってのヒンターランドである。現代のサウジアラビアにとってイエメンがヒンターランドだろう。
杉山は、
『若(も)し、彼等の「ヒンダーランド」問題には口出しをする事はならぬ、日本のヒンダーランド問題丈(だけ)には列国が苦情を言うと云う事が当然と心得るのなら、夫(それ)は国際条約均等の根本を破壊することになるのである。決して列強は左様(さよう)な事を云う気遣いはない。』と言っている。そのくらい国防にとって緩衝地帯の確保が重要だった。
若い人に残したいと茂丸が考えたことは、当時の若者や指導者に独立の気風が無いことへの嘆きと国家への警告だ。
「智者は愚者を導き、強者は弱者を助け、富者は貧者を賑わす」
上層部には腐敗を繰り返す歴史があるからこそ、若者たちの学問中毒を嘆いている。学問は権威に対する服従であり、独立とは相容れない。
若者に必要なことは腐敗と向上の欠如に対する鋭敏な頭脳感性であるとするのは、全く正しい。
若き日の杉山は藩閥の元勲と呼ばれた人々が条約改正という難物を吹き飛ばすアイディアもなくただ揚げ足をとって党派の角を突き合わせていることに怒りを感じていた。
『筑前勤王先輩の死の如きは、実に同情に耐えぬのである。』『水戸も筑前も、薩長藩閥と云う鳶に尊王攘夷という油揚げを浚われたと同じ事である。』(「後藤象二郎立つ」より)
参考に
『『明治三年七月二十六日に 、薩摩藩士横山安武 (後の文部大臣森有礼の実兄 )が 、新政府の腐敗を慷慨して 、時弊十ヵ条を指摘した諫書を政府に差し出し 、太政官正院の前で切腹して死んだという事件がおこった 。その十ヵ条を少し上げてみよう 。
一 、旧幕府の悪弊が新政府にも移って 、昨日非としていたことを今日では是としている 。
一 、官吏らその高下を問わず 、から威張りして外見を飾り 、内心は名利のとりこになっている 。
一 、政令朝に出でて夕べに改まり 、民は疑惑して方向に迷っている 。
一 、駅毎に人馬の賃銭を増し 、その五分の一を交通税として取っている 。
(鉄道運賃の値上げなどこれですな )
一 、政府が心術正しき者を尊ばず 、才を尊ぶがために 、廉恥の気風は上下ともに地をはらっている 。
一 、愛憎によって賞罰する 。
一 、官吏が上下ともに利をこととし 、大官連がわがままで勝手なことをすること目にあまる 。』
とある。横山安武も忘れてはならない明治の人物である。
杉山茂丸は、
星亨に対して曰く、『「政党に吠えさせるのは、藩閥を自覚に導く或程度までの便利である。若し夫れ根本的に自覚改悛をせぬ時は、止むを得ず一刀両断である。その礼儀が済んだ後、今度は政党にとりかかるのである、・・・』と。政党が自覚せぬ場合はやはり一刀両断と言っている。今ならば、彼はテロリストの首謀者とよばれる人品、智者であり、強者の懐刀であり、富者ではなく貧者の無欲無冠の厄介者であろう。事実大隈伯爆弾事件では疑われて拘束されている。曰く『「藩閥が窃盗なら、政党は強盗であるから、政盗(せいとう)と云うたほうが早道じゃ。」』(「腹一杯軍鶏を食う」より)
JP モルガンとの出資談判も出てくる。証文を書かせたことを自慢げに。
官位を求めずに上層部を糾す事がどれだけ武器になるか、親切を尽す事がどれだけ世界を救うか、それを実験してみせたのが、杉山茂丸だった。杉山の親切とお節介は非合法というよりは法の外側で免訴を既成事実化した悪党の技である。条約改正には武力に出る、戦争に勝つしか無いと考えついたのは、当時の時代状況では全く正しい最も困難な高等な戦略に裏付けられた路線だった。
『「能率なき学問に中毒して、能率なき行為をなしてはならぬ。学問は前途に進歩発展を見越している全くの未製品である。正に以て人間が使用すべき物の一つが学問である。それに人間が使われてたまるものでない」と。人道と云うものは、簡単明瞭なものである。「智者は愚者を導き、強者は弱者を助け、富者は貧者を賑わす」、わずかにこの三つで足りるのである。』
早くも季節は麦秋を迎える。
この時期が一番苦しい。昨年の種はまだ葉を出さない。