お笑いコンビ「ダウンタウン」の松本人志(60)が、「スピードワゴン」の小沢一敬(50)に女性を集めさせ、1泊約30万円の超高級ホテルで飲み会を開催。「ゲーム」と称し、「俺の子ども産めや!」。。。
お笑いコンビ「スピードワゴン」小沢一敬が司会を務めたNHK・Eテレのバラエティー「言葉にできない、そんな夜。」の正月スペシャル番組の放送見合わせが2日に発表された。
3日午後10時45分から放送予定だったのは「エモい言葉談義編」「沼る言葉談義編」2部制による2時間。昨年4月から8月までに放送された内容からの名場面を振り返り、新たなスタジオトークも加えると告知されていた。
番組の公式「X」(旧ツイッター)は「放送を振り返りながら#小沢一敬 さんがゆるっと言葉談義」と投稿。松本人志とともに年末、〝性的スキャンダル〟を被弾した小沢が何を話すのか、過去の名場面としてどれだけ〝出演〟するか注目されていた。
番組の公式サイトでは放送前日になって「スペシャル番組は、編成上の都合により、放送を見合わせることにいたします」と発表。「今後の放送予定については、未定です」としている。
もっとも、「ヤクザとは関わるな」と言った当の林会長は、その後同じ年に行われた田岡組長の葬儀に出席しているのだ。
「葬儀では、林会長は位牌を持ちながら歩いていました。親族と同じくらい、田岡組長と関係が深かったですね」
略
吉本興業は、1912年に吉本泰三と妻のせい(旧姓・林)が興した。山口組と関係を持ったのは、1934年。浪曲師・広沢虎造の興行権を得るために、せいが山口組の山口登二代目組長と面会した。ところが吉本と映画出演の専属契約を結んだ虎造は、山口県下関の籠寅組と縁を持ち新興キネマの作品に出演する約束を結んでしまう。困ったせいは、山口組に仲介を依頼した。すると、1940年、山口登組長は籠寅組に襲撃され、瀕死の重傷を負い、2年後に亡くなってしまったという。
「林正之助氏の話によると、山口登組長が襲われた現場に当時総支配人だった正之助氏も行く予定だったというのです。用事があって30分遅れたため、助かったとうれしそうに言っていました。その後正之助氏は山口組と関係が深くなり、兵庫県警の内部資料である『広域暴力団山口組壊滅史』には、正之助氏が山口組準構成員と書かれてありました。所属芸人にヤクザとは一切関わるなと言ったのは、ヤクザと付き合うのは自分で最後だと言いたかったのでしょうね」
林正之助氏は、1948年に吉本興業の社長に就任した。山口登組長の死は、吉本興業にも責任の一端があったことから、正之助氏は山口組の田岡一雄三代目と深い関係を持った。田岡組長の妻名義で4080株の自社株を持たせていたほど、身内同然の付き合いだったという。