シカゴ・トリビューン 1945年8月19日
ジャップ、1月に和平を要請。
ルーズベルト、ニップ提案に関するマッカーサー報告を無視
ウォルター・トロハン
米国における検閲規制がすべて解除されたことで、7ヶ月前に日本からホワイトハウスに最初の平和招請が伝えられたことを報告することが可能になった。
故ルーズベルト大統領が1月の最終週、チャーチル首相やスターリン元帥とのヤルタ会談に出発する2日前、ルーズベルト大統領は、後任のハリー・S・トルーマンがその後締結した条件と同じものを日本側から提示された。
マッカーサーはF.D.にメッセージを伝えた
マッカーサー元帥からホワイトハウスに伝えられた日本側の申し出は、40ページに及ぶものだった。 バターンに凱旋したばかりのアメリカ軍司令官は、日本側の申し入れに基づく交渉を促した。
マッカーサーから伝えられたこの申し出は、天皇の身柄以外のすべてを放棄して降伏するというものだった。 天皇がアメリカ軍の傀儡になることを日本側から提案したのだ。
日本からの5回の申し入れのうち2回はアメリカ経由で、3回はイギリス経由で行われた。 すべて、天皇裕仁のために行動する責任ある日本人からだった。
将軍の通信は却下された
ルーズベルト大統領は、神への厳粛な言及がちりばめられたこの将軍の通信を何気なく読んだ後、「マッカーサーはわれわれの最も偉大な将軍であり、最も貧しい政治家である」と発言してその通信を打ち切った。
マッカーサー報告はヤルタにも持ち込まれなかった。 しかし、この報告書は最高司令部のファイルに大切に保存され、その後、日本の降伏を求めるトルーマン・アトリー会談のポツダム宣言の基礎となった。
この和平交渉は、マッカーサーからの通信が届いた直後、シカゴ・トリビューン紙とワシントン・タイムズ・ヘラルド紙に知られた。 それは公表されなかった。