『奸婦にあらず』 諸田玲子
文春文庫 2006年11月日経新聞社刊 新田次郎文学賞を受賞
2009年11月10日文春文庫 第一刷
諸田 玲子(もろた れいこ)
静岡市生れ。上智大学文学部英文科卒。
外資系企業勤務を経て、翻訳・作家活動に入る。96年『眩惑』でデビュー。2003年『其の一日』で吉川英治文学新人賞、07年『奸婦にあらず』で新田次郎文学賞、12年『四十八人目の忠臣』で歴史・時代小説大賞作品質を受賞。
「お鳥見女房」「あくじゃれ瓢六」「天女湯おれん」「狸穴あいあい坂」「きりきり舞」シリーズの他、『空っ風』『灼恋』『月を吐く』『犬吉』『思い出コロッケ』『昔日より』『木もれ陽の街で』『希以子』『青嵐』『遊女のあと』『美女いくさ』『炎天の雪』『お順』『花見ぬひまの』『ともえ』『王朝小遊記』など著作多数。
この時代(嘉永7年を含む安政年間から万延を1年はさんで文久年間 6年プラス1年プラス3年のちょうど10年、1854年~1864年)文久二年の政変で幕府政権が大きく変化(国体の移動遷移:政治の真空状態)するまでの間は多くの人々が政治動乱に翻弄されている。このころの京は出自のわからぬ人物が重要な役職に容易に上り詰めていた、一人はこの島田左近 (島田正辰位階・官職は従六位下左近衛権大尉)、一人はこの小説にも出てくる、九条家で家宰を取り仕切る家臣(青侍)の島田左近と交際を結んだ長野主膳であろう。経歴クレンジングが容易な京の背景は公家の経済的困窮。外国の知識ばかりでなく国体を定める新しいイデオロギーの流布(水戸学 あるいは 海防論 敷島の道という本居頼長の国学などの需要拡大、嘉永7年生まれの高橋是清らはこの次の世代だが生の英語に出会っている)が見て取れるように小説が描かれている。そういうところも資料を下敷きにして秀逸である。秀逸などという言い方は新田次郎文学賞受賞作品に対して失礼かな。 幕末ドラマ桜田門外ノ変まで悪役コンビとして構図が定まっている井伊直弼と長野主膳を結び付ける背景に目を付けたのは素晴らしい着想。
- 安政6年(1859年)
- 安政7年/万延元年(1860年)庚申
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- 万延元年3月18日より万延 万延2年2月18日が最後の万延の日(1861年3月28日)
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- 文久元年(1861年)元年 文久元年2月19日(1861年3月29日)より文久
- 2年
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- 3年
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- 元治元年(1864年-1865年)
- 3月、水戸天狗党挙兵
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- 元治元年11月1日大子発 -2日 川原 -3日 越堀 -4日 高久 -5日 矢板 -6日 小林 -7日 鹿沼 -8日 大柿 -9日 葛生 -10日 梁田 -11、12日 太田 -13日 本庄 -14日 吉井 -15日 下仁田 -16日 本宿 -17日 平賀 -18日 望月 -19日 和田 -20日 下諏訪 -21日 松島 -22日 上穂 -23日 片桐 -24日 駒場 -25日 清内路 -26日 馬籠 -27日 大井 -28日 御嵩 -29日 鵜沼 -30日 天王 -12月1日 揖斐 -2日 日当 -3日 長嶺 -4日 大川原 -5日 秋生 -6日 中島 -7日 法慶寺 -8日 薮田 -9、10日 今庄 -11日 新保 一部の幹部達を除く者共には手枷足枷をはめ、衣服は下帯一本に限り、一日あたり握飯一つと湯水一杯のみを与えることとした。腐敗した魚と用便用の桶が発する異臭が籠る狭い鰊倉の中に大人数が押し込められたために衛生状態は最悪であり、また折からの厳寒も相まって病に倒れる者が続出し20名以上が死亡した。 天狗党員828名のうち、352名が処刑された。1865年3月1日(元治2年2月4日)、武田耕雲斎ら幹部24名が来迎寺境内において斬首されたのを最初に、12日に135名、13日に102名、16日に75名、20日に16名と、3月20日(旧暦2月23日)までに斬首を終え、他は遠島・追放などの処分を科された。
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- 天狗党の処刑の際には、彦根藩士が志願して首斬り役を務め、桜田門外の変で殺された主君・直弼の無念を晴らした。またこの時、福井藩士にも首斬り役が割り当てられたが、後々の報復を恐れた春嶽が命令して役目を辞退させた。斬首の後、水戸にて梟首4名 塩漬け生首は水戸市中引き回し後那珂湊にて晒され、野捨とされた。
- 元治元年(1864年-1865年)
- 文久元年(1861年)元年 文久元年2月19日(1861年3月29日)より文久