公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 と、トランプ演説

2017-01-21 13:36:37 | 意見スクラップ集
 『日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。 
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。』憲法前文


政治道徳の法則は普遍的価値であるということについて。

憲法に関してこの原理と国際主義は相容れない。なぜなら国民国家の最高位の法が憲法だから。普遍を経済活動の普遍と読み替えて国民国家を超える契約を強いることは、憲法に違反し、国際競争に国民の生活の基本的要件を脅かされる結果を許容するものである。米国のエスタブリッシュメントはほとんどが国際主義だった。しかしなぜ全世界の国民について宣明しなければならないのか?日本国憲法に過ぎないのに大ボラ吹きもやり過ぎではないか?少なくとも何を根拠にこれほどの理想主義を権利として断言できるのか?現実の世界に権利があると断言したら、それが実現すると考えるのはあまりに幼稚な夜郎自大である。そして誓ってしまった。一見国際主義のように見える理想の誓いの前分は、一国の憲法にとっては盛り過ぎであろう。なぜこうなるか?これは日本国憲法は日本国民の立場で書かれていないという証拠である。





トランプ演説、ここでは冒頭しか引用しない。ここに明確なエスタブリッシュメントの裏切りをトランプは告発している。

『4年ごとに、我々は秩序ある平和的な権力の移譲を行うために集まる。オバマ大統領とミシェル・オバマ大統領夫人のこの移行期間を通じての親切な助力に感謝する。彼らは偉大だ。

しかしながら、今日の式典には、非常に特別な意味がある。なぜなら今日、我々は単に権力を政権から政権へ、党から党へ移譲するのではない。我々は権力をワシントンD.C. からあなた方、アメリカ国民へと返すのだ。

あまりにも長い間、我々の国家の首都にいる少数集団が政府の恩恵を受ける一方で、国民はその費用を負担してきた。

ワシントンは繫栄した。しかし国民はその富の分配にあずかることはなかった。

政治家は成功した。しかし職はなくなり、工場は閉鎖した。

支配者層は国民ではなく、自分たちを守った。

彼らの勝利は諸君の勝利ではなかった。彼らの成功は諸君の成功ではなかった。彼らは我々の国家の首都で祝杯を挙げる一方、我々の土地の至る所で困難にあえぐ家族たちにとって、祝杯を挙げることなどほとんどなかった。

これらは全て変わる。ここで、たった今から。なぜなら今この瞬間は諸君の瞬間だからだ。諸君のものなのだ。

今日ここに集まった全員、そしてアメリカの至る所で見てくれている全員のものだ。

今日という日は諸君の日だ。これは諸君の祝典だ。

そして、このアメリカ合衆国は、諸君の国だ。

本当に大切なのは、どちらの党が我々の政府の舵を取るかではなく、我々の政府は国民によって舵を取られているかどうかだ。

国家は国民に奉仕するために存在する

2017年1月20日は、国民が再びこの国家の統治者になった日として記憶に残るだろう。

我々の国の忘れられた男性・女性諸君は、もはや忘れられることはない。

今は皆が諸君の声を聞いている。

世界がこれまで見たことのないような歴史的運動に加わるために、何千万人もの国民がやってきた。

この運動の中心には、決定的な信念がある。それは、国家は国民に奉仕するために存在するというものだ。

アメリカ国民は、子どもたちのために素晴らしい学校を、家族のために安全な地域を、彼ら自身のために良い仕事を求めている。

これらは公正な一般市民の、正当でありもっともな要求である。
。。

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