なぜかは理由が不明だが、最近になって急に閲覧する人が増えたので、一度リセットのつもりで再掲する。ここ数年不可解な事件が多いためにまるで政治経済分析ばかりのようなブログになってしまったが、私の歴史に誤解のないように、元々のブログ書き込み趣旨がまとまっているページ(6年ぐらい前のまとめ)を再掲することにした。
ここ数年の自分自身の精神フレームの『居付き』、とはいってもこの居付き、<非所与としての自己の哲学>にたどり着いた時は、大学の寮で考え始めてから30年も経っていたのだが、今、これを捨て、自ら蘇るため、破を導きたいと思った。
かつ、これまでの投稿群の理解の助けとするために、全体を振り返る助けとなる自己リンク集を
老境に至っても生しかない人間は概して底が浅い。川端康成がいい例だよ。この人は天才すぎて死を見つめて創造すること苦しみがなかったのではないだろうか。女の勘というものは鋭いもので、大塚英子は『理由はわからなかったが 、とにかく開けられない 。自分自身これは不思議なことだった 。だから読んではいないのである 。これから読めるか 、多分 、開けられないと思う 。あの眼 、あの眼だけを心の中にとめておこう 。決して読むまい 。』恋人の吉行をして、それは視姦と言わしめたと書いている。
ps 2015/07/07 量子論的意識の最新研究の動画リンクを追加した。
忙しい人には「第三の直感 3」だけ読んで気になる文書内リンクを追うもよし。
まとめに代えて、最もわかりにくい第三の直感の活用と日本人を解説する。
一見宗教か哲学のようですが、これはまだ人類が到達していない科学です。部分的には最新の心の理論に繋がるものです。わかっている人もいる。
全体は個人的な精神と魂の修養のためのテキスト(メモ)になっています。
その基礎が脳です。
『私のない心。《矛盾しているように聞こえるが》、どういう意味かと言うと、いくら入れようと思っても私というものは入れようのない心です。それから、この心のわかり方は意識を通さない、直(じか)にわかる。』岡潔
少しイメージを与えると、通常の心とは水の流れのようなもので留まらず常に変化します。魂はこの形のない心を湛える川あるいは湖沼のようなものです。その人の心は分からなくとも摩周湖とか琵琶湖とか魂を称えればなんとなく心のあり方が想像できる。
心の上に乗る木の葉のような生身は魂の全貌さえわからないままに、ただこっちの善なる岸とあっちの不善なる岸があるように感じて、その間で折り合いをつけようともがいています。
生身から見ると普段の心はただぐるぐる虚しく回っているだけのように感じています。やがて必ずこの心に運動の終わりがやってきます。この水の流れのような心の流れが魂の全貌全霊とピシャリ一致する《とき》に水のような心は突然明鏡止水となって生身の私が全体の中で消えます。
これが私のない心の状態、完備した無の円環のイメージです。岡潔は渚から沖に漕ぎ出す意志と言ってますが。遠く離れた向う岸の存在を信じて、たよりない大洋を漂うには意志というよすがとすべき体系が必要だと言っています。人生のどこにいたとしても入れ物である河床や海底や湖底が定まる時、迷いは消える。木の葉の自分はそこにいない。特攻隊員もそうだったのではと思います。川端康成は特攻隊員を取材していながら一行も書けなかった。
《》:死の時、身体が心を離れる時
『もっと言えば 、縁起だって瞑想法なのね 。釈迦が教えたのは全部瞑想法なのよ 。それが中国に行き 、日本に来て 、正しいモノの見方って変わってきたのよ 。だけど 、本来 、釈迦はアプリオリ性 (先天性 )を否定してるんだよ 。釈迦はブラフマン (宇宙の根本原理 。他宗教でいえば神 )の存在 、ア ートマン (真我 =超人的存在の自分自身 )の存在さえ否定した 。ただ 、どっちにしても未来永劫正しいことが続くことはないっていうさ 、カント的なアプリオリ性は完全否定してるから 、何が正しいかって言った瞬間に釈迦は自己矛盾になっちゃうのね 。だから 、正しい八つの道なんてことを言うわけなくて 、あれは誤訳なんだよ 。』http://a.co/fvrhuGK 苫米地英人 v s成瀬雅春の瞑想と認知科学の教室発行日 2019年 3月10日 著者 苫米地英人&成瀬雅春
悟りとはそういうことなんです。答えではありません。何度も明鏡止水による小我の死を体験して新しい世界の見え方を拓いてゆく、新しい心の容れ物である魂を創造する方法論が釈迦の原始仏教です。これは数学であり科学に共通です。故に破を導く意義がおわかりいただけますでしょうか。数学でも科学の世界でも体系の死に臨んでパースペクティブの呪文が解ける時に発見がある。
凡人が自己意識を統計確率という虚に委ね(瞑想して)心という空が空を生む自己関係(小我)をリセットするというのは難しいことではありません。第一に気づくべきは、毎日毎秒自己関係が再生しているということでしょう。第二に気づくべきは再生しているということ、古い自己関係が消えているということです。空が空を生む自己関係を心とか自分とかいう幻想に置き換える前に、それらが幻であると瞑想によって自覚するのは難しいことではありません。 第三に気づいて欲しいのはそこに何らかの意図や私の入る余地がないということです。
頭頂葉に宿るというのは、中心が頭頂葉だという意味ですが、この心は『頭頂葉から広がって肉体の全部を覆い、更に広がって物質的自然界の全部を覆い、更にその外に出て、およそ時というもののある所、現在、過去、未来の如何を問わず、時のある所にはこの心は必ず広がっている。こういう第2の心というのがある。』岡潔にインスパイアされた<非所与としての自己の哲学>がこうして生まれた。
<非所与としての自己の哲学>というのは、積極的に人間が創造的活動を行う時は、ある種の生命を燃焼犠牲にしている。われわれは生きながら毎日、毎分死んでいる。それによって意識=行動創造の主人である頭脳構造を持つわれわれはそれまで完備した無の円環つまりいくら入れようと思っても私というものは入れようのない原初の心から、疑問と答えの切れ目を見出す。哲学とその頭脳はそれを写し取っているだけである。時に不完全に疑問のみ写し取る、その結果が自我である。答えのみ写し取るそれが神託でありインスピレーションである。従って自己はあらかじめ与えられていない。自己は生命燃焼の前にはない。完備した無の円環という空っぽである自己を所与(自明)とみなし空っぽを実現しようとする無理不道理が近代合理主義の自立的自我ののりうつりを経由した矛盾露呈へとつながってゆく。
心の外部は個人用ベクトル空間としての脳内機能に繋がっている。これが自在にできるのが菩薩である。リラ人が「量子的確率の制御(コントロール)を経験してる」とはそういう意味である。
動画が切れていたら、以下を読んでください。
そのさきがけがペンローズの波動関数の収縮という量子仮説 Penrose,R.(1989) "The Emperor's New Mind", Oxford University Press
これにマイクロチューブル説を唱えてたのは、
スチュワート・ハメロフ(英: Stuart Hameroff、1947年7月16日 - )は、アメリカ合衆国の麻酔医
ハメロフは麻酔下の脳波を観察してさらに意識のイメージを膨らます。
ただし以上は、現在のところ脳内情報の量子論仮説は定説ではない。
他方で人工知能というエンジニアリングの世界では、東京工業大学の長谷川修准教授が研究を進めるAI「SOINN」が生まれている。SOINNは、“Self-Organizing Incremental Neural Network”の略で、自己増殖型ニューラルネットワークと呼ばれる。同研究所のWebサイトには、「『自分で考えて、行動する』ための、脳をヒントにして考案された学習器」と説明されている。こちらは、より推論に近い直感の世界の機械化に相当する。自己増殖するという表現が気持ち悪いが、自分自身もまた気持ち悪い。
***** 妙による通心 *****
なぜ第三の直感が大切なのかわからない向きもあろうかと思い、以下要諦を補足いたします。
震災を振り返るまでもなく、日本人はともに了解し合える霊的文化を持っているから
一見個人主義で、たとえ各人の脳履歴が異なっていても、情緒で一つになる共感知性の可能性を秘めている。
孟子に四端という性善説の有名な言葉(①惻隠、②廉恥、③辞譲、④是非:それぞれ仁義礼智に対応する)があるが
妙すなわち共感知性とは、四端のように個の思いの中にバラバラにあるものではなく、
いわば己の心の四端を入り口として、遠隔の個人、時には死者といった他の心の四端と通信(心)する
情緒的近道のようなものである。
例えば意味はわからずとも偉人の謦咳に触れて感化されるというのも同じレベルで起こることです。
第三の直感を解説する前に、第三の直感を活用するとは、心の所作であることと理解することが大事です。
所作は私達が日常当然のように飲み込んでいるものを導きの糸とします、
情緒
直覚
愛
の領域で、
これらを改めて対象としてそれぞれの大きさと時間を意識して観る、再構成するという心の所作の事です。
もちろん他の民族にも愛や直覚はありますが、遠隔や隔離して通信(心)できるものではありません。
同じ愛でも日本人とは感じ取る情緒のレベルが異なっています。
日本人の情緒に潜む大いなる虚に基づく大誠意の前に愛の説教は無意味なのです。
愛という外来語的意味使いがかつての日本になかったことがその良い証明です。
だから日本人の論理、言葉には情緒の次元が無意識に付随しています。
無意識の第三の直感は瞬間的に働きます。
解説が難しいのは意識の下に置かれる第三の直感です。発見と閃きの実在感。
第三の直感が私達に与え、垣間見させるビジョンは、
一神教の乾いた論理、分別智では得られません。
ビジョンは仏教の教えで言う九識の世界別次元を経由した共感知性です。
それは一旦観るという意識の視座をそぎ落として、
おのれの外、仏霊の側に移し、心眼でビジョンを捕らえる。則ち
内側から脳を照らしてみることで、
物体的小我としてのおのれを乗り越えるという精神活動の領域の表現です。
あるいはおのれが囚われている概念に拘束された脳
則ち小我を一時的に離れ、
おのれを霊的に観て、次元を加えて再構成するという精神活動の指針、
それが意識の下に置かれた第三の直感です。
そうすることで、人はいつでも意識的に何度でも生まれ変わって、自ずから九識の世界に共感し、
おのれという自他の区別が底から消えるまで何度でも没入してみることができるのです。
自己意識を確率という虚に委ねリセットするというのは難しいことではありません。
瞑目することで、瞬間的に何度でもできるのですから、
これほど単純なことはありません。
これが仏教の救済のかたち、本願、菩薩心です。
最も広い共感の世界から自他の区別のない全一の境地、明鏡止水が開け
ハクスリがいうところの
「このように我意や自己中心的な利口さが無為と化した場合においてこそ、空にして清浄なる魂の内部で永遠なる真如の活動が可能になるのであり、内なる高みにおいて永遠が知られるとき、外の世界において永遠は充実した経験として知られるのである。」
我意や自己中心的な利口さが無為と化した場合こそが、生の前、死の後、の再生の神力に触れるチャンスです、そして。。こうした非存在の連結が私自身と言う観念の原因なのです。
心震える畏れがわかれば、
自ずから信心が見えてくる。
その心震える畏れの表現型は、
時に美であり、
時に真であり、
時に善である
いずれも生の前、死の後の高い次元の形式 妙を与える。
この四者のメタ構造を私は死を論理的に追体験するフィールドと言う。
しかし妙を対象的に凝視することは、
生きているものにとって簡単な事ではない。
ただ力を抜いて導かれるだけ、瞑目して生まれ変わる。
出会う「我はありてあるものなり」
これが第三の直感である。
しかし、そこから信心が垣間見えたからといって、このおのれ、すなわち小我が消えてなくなるわけではない。
真我と小我を対比出来るだけにとどまる。
人は垣間見た<答え>という妙の衝撃からのみ悟ることができる。
つまり、
人の精神的作用の限界は答えが見えるときにだけ、正しく問いを立てることができる性質にある。
なぜなら、
生身のわれわれは、次元の低い平面、小我の平面地獄を生きるのが物質的宿命なのだから。
ここは注意しなければならない、
しばしば間違った問いに対して正しい答えを嵌めこむことで永遠に妙から離れてゆくのが、一神教の影響下の大きな誤りだからです。本題から少し離れるが、例えば、実存主義は個人の自由を答えとして定立したが、問いが的はずれである。自由は妙として最後に現れる次元であって、あらかじめ定立した存在論の対象ではない。
***** 宿敵 *****
多くの民族は宿命が敵味方の前提で、お互いに宿敵である。
しかし、独自文明の末裔である日本人は敵に対する情緒感覚が違う。
日本人は、宿敵を倒すという論理に次元の違う
人の道、形式があるべきと信じていた。
困難な強敵に立ち向かう決戦であっても、
勝者、敗者ともに情緒的念慮がある。それが武士道というものである。
だが、いつもそのような戦いをしていたわけではないが。。
私は真珠湾攻撃から70年以上経った今でも(米国が攻撃を予期していたことは知っていても)
米国人にだましの闇討ちと言われることは痛苦に感じる。
これは日本人の情緒です。乾いた論駁だけではすっきりしないのが情緒です。
ペリリューやサイパンの砲弾と重機関銃の弾幕の中、最後の死を覚悟して銃剣突撃をしたのはなぜでしょう。
戦陣訓があって他に選択肢がなかった。
そうかもしれない。でも、車寅次郎のセリフではないが、
日本人が自らそれを言っちゃおしまいよ。という残念と情緒が残る*。
しかしどうして弾幕に向かって立ち上がることができたかという瞬間は
死地にいない人間が後で考えた理由だけでは説明できないことです。
私は決して自死を美化しません。
しかし死が私達の霊的文化の一部であることは疑いようのないことです。
私達は太古の昔から生死に関わる精神の使い方を心得ていました。
古来日本では死は個人の霊的存在の終末ではなかった。
生と死は同じ程度に個人が選択すべき重要な徳の基準だった。
***** 稲作 *****
われわれの祖先は苦労して狭い国土を開墾し、稲作を通じて生き、無限智の道を拓いてきた。
稲作農耕社会では、再生するものと再生しないものとの境目が重要であって、
祖先は共同体社会の中に神域をつくり、聖俗との境界に祠を置いた。
ウチとは個人、家族、共同社会、国の再生の世俗。
再生する世俗であればこそ、日本人はウチなる穢れを清め祓い避けてきた。
日本人はこれが穢れると二度と再生しないと信じている。
そしてそのたびに、新たな神域をつくり、共同体を再生する。
日本全国の祠、神社、大社、寺院の数をみれば、
日本人がソトに捨てること通じて世俗社会の健全を保つ感性と情緒が理解できる。
だから穢れはウチに生じることが避けられないという諦念も日本人の感性と情緒である。
それ故に、
古来穢れをコントロールする者が伝統的に治世を行う資格者である(司祭としての天皇;人倫の頂点)。
その代わりにソトは再生しない神域。
死後も生前も霊的存在はその神域につつまれている。
これを迷信と吐き捨てられるだろうか。では、あなたにとって正月は何?
近世以降は、日本人の情緒文明が外部文明を吸収しながら独自に変形発展してきた誇るべき歴史がある。
一見軽薄なアキバのメイドもカワイイ文化も吸収力の形とおもえばよろしい。
数え上げればきりがない。
日本文化として外国文化が今も独自に発展して保存され花咲いていることは、
よく知られているとおりです。
***** 時代 *****
しかし日本の特殊な文明は孤立してはいられません。
石油をエネルギーのベースとする社会システムの世界は成長ピークを過ぎ、
世界はこのままでは強奪の荒野となって終ってしまいます。
だから 今はなおさらに、私達がこの独自に形成された特殊な
文明を自覚し、
情緒を涵養し、
諸国民を感化せしむる、
心の所作として、第三の直感を大いに活用し、脳の使い方を変革し、
ちっぽけな争奪を捨てさせ、
無限のエネルギーを開発することを国家の目標としなければなりません。
そのためには小我の行きつく合理主義の上の段階のロジック、
真我に目覚めた、共感知性、本願信心が大切なのです。
私のいうことは宗教のように見えますが、
宗教ではありません。
科学です。
反証ができない(偽が立証できる手続きがない)心の世界の確信なので、
カール・ポパー(K.R.Popper)は科学とは認めないでしょうが。。
私は私の意見に対して貴方の同意も何も一切望みません。
私はただ貴方の心に自由が働くことを願い、より次元の高い自由の働きを期待するだけです。
もし貴方の心が発揮する自由のアウトプットが私の心の自由な働きに重なることがあるとしたならば、
それは時空を超えた共感であり、
情緒を糸口とする本願、異世界の入り口です。量子論では観測することが世界の創造だから、それで良いのです。ヘーゲルは精神現象学で「われわれがここで考察している存在者においては 、個別というのは 、自己意識一般という意味をもっているのであって 、個々の偶然の意識という意味をもっているのではない 。だから 、かく規定されるときには 、人倫的実体は現実的実体であり 、多くの定在する意識のうちに実現された絶対的精神なのである 。 」と述べています。時空を超えた共感が絶対的精神に相当します。
***** 文化 *****
なぜ他文化の本質を日本人は明治維新に吸収できたのか、
なぜ札幌農学校の卒業生に偉大なクリスチャンが2人(新渡戸稲造、内村鑑三そしてその感化を受けた矢内原忠雄)もいるのか、
なぜ日本はアメリカに負けたのにアメリカ文化が好きなのか。
どうして今も新しい文化を発信続けられるのか。
日本人の秘密は時空を超える情緒の普遍性に有ります。
これは一面では日本人の維新革命や技術革命・イノベーション、再発明、あるいは外国文化の誘導変化の源泉です。
他面では、これが宿敵を見逃す欠点(征服的な傾向の強い他文化につけこまれるところ)です。
これから日本のリーダーに必要とされる能力は、
一度絶望した日本人でなければできないこと。
<社会悪を感じる感覚><社会(の腐敗;あるいは再生)を感じる感覚><人倫の互恵を信じる感覚>
これらの感覚と情緒は世界に通じる価値観です。
情緒の涵養を通じて多民族を覚醒させる。
これが日本人でなければできないこと、世界の日本化です。
***** 共感知性 *****
決して平和とはいえない世界の将来を見据え、征服に備えつつ、
共感と情緒により自国民を従え、
国難の宿命・諸国民の桎梏を乗り越える。
リーダーに必要な力は
新社会創造に諸国民を向かわせる共感知性の力にほかならない。
*
朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ 徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此
レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス。
***** リンク集 *****
1.第三の直感 1
2.第三の直感 2
3.第三の直感 3
4.明鏡止水
5.正しい問い
6.岡潔 1
7.岡潔 2
8.岡潔 3
9.一点素心
10.花三態
11.柳田國男の不思議体験
12.生成論 3
13.生成論 2
14.生成論 1
15.最後の哲学
16.自由な社会
17,自由について
18,自由について 2
19.陽はまた昇る生ある限り
20.速い認識、遅い認識 ファスト&スローより
21.エックハルト
22.性善出家
23.明日の神話 1
24.明日の神話 2
25.予測する葦
知る
沈黙1 沈黙2 沈黙3
非思考的なものを知る
脳について知る
考える皮膚 ー脳ー
ストレスに身をあずける事を知る
自由と存在論の関係を知る
知識労働の自由を知る 自由1 自由2 自由3
日本史の周期について知る
世界史の周期について知る
世界観の逆転「自己が外部化する時代」について知る
私にとってヘーゲルとマルクスは何か
私にとってドラッカーとは何か
私のマキャベリズムとは何か
アナーキーの効用
経営を知る
資源としての意見及び疑問 1
資源としての意見及び疑問 2
不確実性とリスク、原子力を例として
未来を担う若い人たちへ
参考図書(工事中)
このおやじ