公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

切り取りダイジェスト2021/11/25 考える皮膚 脳

2021-11-25 19:06:00 | 意見スクラップ集
原始的我を含む我で現在の我を再構成できなければ哲学者ではない。
つまるところ、中枢神経系は外部環境と戦うために発達した皮膚である。外部情報が何層にもわたって仮想皮膚が積み重なり外部環境を写し取りながら、外部の輪郭を担当する細胞へと分化(関数化)する。これが中枢神経系の発達の進化であり、目的でです。

 考えるという事は境界を認知し、外因の侵入を感知するという事。
 従って我(われ)とは侵入履歴が描いた輪郭の内側という仮想であって、魂もどきの形容は創世の初めから空虚な補集合(そこにある全体以外のモノ=全体引く全体は無)にすぎないのです。
 従って「我とは何であるか」という問いは設問の立脚自体が存在しないので間違っている。
 間違った問いに、正しい答えをはめこむことが、どんなに罪なことであるか哲学者は反省した方がいい。西洋哲学の祖デカルトはその最も端的な例であろう。我思う故に我在り、といえるのは我々の原因である宇宙についてだけ設問可能な原理である。有限な我々にはそのように設問できない。対偶<我在らざれば、我思わず>は検証不可能あるいは偽である。
 

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