大切なことをメモする 張栄発氏死去。
エバーグリーンのコンテナ見たことあるでしょう。若い時は日本語しか話せない世代です。日本の恩人でもある。
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張栄発氏
(台北 20日 中央社)2012年春の叙勲で旭日重光章を受章した台湾の海運・航空大手、エバーグリーン・グループ(長栄集団)の張栄発総裁が20日午前11時5分、亡くなった。88歳。
1968年に中古の貨物船1隻で海運業に参入し、1代で世界的な企業に育てた。89年にはエバー(長栄)航空を立ち上げ、航空業にも進出。2011年の東日本大震災時には個人名義で10億円を寄付するなど、長年にわたって日台交流の促進にも寄与した。
1985年には張栄発基金会を設立。医療、教育、文化など、社会への奉仕を続けた。2011年時点で個人の資産は16億米ドル(約1870億円)とされるが、張氏は生前、全て慈善事業に使い、子孫には残さないと公言していた。
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エバーグリーン
創業者は張栄発(繁体字:張榮發、Chang Yung-fa)である。1927年に船員の三男として澎湖諸島(当時の日本領台湾の澎湖庁)で生まれ、南日本汽船株式会社で働きながら、夜間の台北商業実践学校を卒業後18歳で台北本社の船舶部に転勤し貨物船の事務員として働く[3]。日本の敗戦で国民政府が日本船を接収したが、日本語しかできなかったため就職できず、独学で航海士の免許を取り、地元船会社で三等航海士として働き、後には一等航海士となり船長にまでなった[3]。
1961年に共同出資者と船会社「新台海運公司」を設立し中古の貨物船1隻で起業後、台湾初の新造船を持つまでに成長させ、1965年には別の共同出資者と「中央海運公司」を設立するも丸紅を通じて購入したセントラル・トラスト号の不調がもとで揉め、同船とともに同社を離れて独立、丸紅の支援も得て、1968年9月1日に長栄海運を設立し、世界的な海運業者のひとつに成長させた[3][4]。
1989年には台湾初の民間航空会社エバー(長栄)航空を立ち上げて航空業にも進出し、台湾最大手の運輸企業グループに育てあげた[5]。2011年時点で個人資産16億米ドル(約1870億円)とされる[6]。1985年には張栄発基金会を設立し、教育現場への『道徳月刊』無償配布をはじめ[3]、医療・文化面での社会奉仕も続け、2011年の東日本大震災時には個人名義で10億円を寄付するなど、長年にわたって日台交流の促進にも寄与した[6]。2012年春に旭日重光章を受章[6]。2016年1月20日、88歳で亡くなった[6]。
脚注
^ "Safety, Quality, Environment Policy." Evergreen Marine. Retrieved on September 29, 2009.
^ “Alphaliner - TOP 100 Operated fleets”. Alphaliner. 2014年1月20日閲覧。
^ a b c d 企業家に与える経験の影響 : 長栄集団・張栄発の事例をもとに小野瀬拡、九州産業大学経営学会経営学論集 25(1), 31-48, 2014
^ a b c d e Mote, Dave (2008年). “Business Encyclopedia - Evergreen Marine Corp.”. Hoover's Inc. 2008年10月1日閲覧。
^ 台湾の運輸最大手・長栄集団創業者、張栄発氏が死去日本経済新聞、2016/1/20
^ a b c d 東日本大震災時に10億円寄付 エバーグリーン・グループ総裁が死去/台湾中央社フォーカス台湾、2016/01/20
^ a b Taiwan's Evergreen Marine to build 100 container ships
^ a b Evergreen Marine corporate profile
エバーグリーンのコンテナ見たことあるでしょう。若い時は日本語しか話せない世代です。日本の恩人でもある。
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張栄発氏
(台北 20日 中央社)2012年春の叙勲で旭日重光章を受章した台湾の海運・航空大手、エバーグリーン・グループ(長栄集団)の張栄発総裁が20日午前11時5分、亡くなった。88歳。
1968年に中古の貨物船1隻で海運業に参入し、1代で世界的な企業に育てた。89年にはエバー(長栄)航空を立ち上げ、航空業にも進出。2011年の東日本大震災時には個人名義で10億円を寄付するなど、長年にわたって日台交流の促進にも寄与した。
1985年には張栄発基金会を設立。医療、教育、文化など、社会への奉仕を続けた。2011年時点で個人の資産は16億米ドル(約1870億円)とされるが、張氏は生前、全て慈善事業に使い、子孫には残さないと公言していた。
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エバーグリーン
創業者は張栄発(繁体字:張榮發、Chang Yung-fa)である。1927年に船員の三男として澎湖諸島(当時の日本領台湾の澎湖庁)で生まれ、南日本汽船株式会社で働きながら、夜間の台北商業実践学校を卒業後18歳で台北本社の船舶部に転勤し貨物船の事務員として働く[3]。日本の敗戦で国民政府が日本船を接収したが、日本語しかできなかったため就職できず、独学で航海士の免許を取り、地元船会社で三等航海士として働き、後には一等航海士となり船長にまでなった[3]。
1961年に共同出資者と船会社「新台海運公司」を設立し中古の貨物船1隻で起業後、台湾初の新造船を持つまでに成長させ、1965年には別の共同出資者と「中央海運公司」を設立するも丸紅を通じて購入したセントラル・トラスト号の不調がもとで揉め、同船とともに同社を離れて独立、丸紅の支援も得て、1968年9月1日に長栄海運を設立し、世界的な海運業者のひとつに成長させた[3][4]。
1989年には台湾初の民間航空会社エバー(長栄)航空を立ち上げて航空業にも進出し、台湾最大手の運輸企業グループに育てあげた[5]。2011年時点で個人資産16億米ドル(約1870億円)とされる[6]。1985年には張栄発基金会を設立し、教育現場への『道徳月刊』無償配布をはじめ[3]、医療・文化面での社会奉仕も続け、2011年の東日本大震災時には個人名義で10億円を寄付するなど、長年にわたって日台交流の促進にも寄与した[6]。2012年春に旭日重光章を受章[6]。2016年1月20日、88歳で亡くなった[6]。
脚注
^ "Safety, Quality, Environment Policy." Evergreen Marine. Retrieved on September 29, 2009.
^ “Alphaliner - TOP 100 Operated fleets”. Alphaliner. 2014年1月20日閲覧。
^ a b c d 企業家に与える経験の影響 : 長栄集団・張栄発の事例をもとに小野瀬拡、九州産業大学経営学会経営学論集 25(1), 31-48, 2014
^ a b c d e Mote, Dave (2008年). “Business Encyclopedia - Evergreen Marine Corp.”. Hoover's Inc. 2008年10月1日閲覧。
^ 台湾の運輸最大手・長栄集団創業者、張栄発氏が死去日本経済新聞、2016/1/20
^ a b c d 東日本大震災時に10億円寄付 エバーグリーン・グループ総裁が死去/台湾中央社フォーカス台湾、2016/01/20
^ a b Taiwan's Evergreen Marine to build 100 container ships
^ a b Evergreen Marine corporate profile