公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

ウマル安田の言い訳が聞きたい

2018-10-26 07:20:43 | 捨て置けないニュース
響長友の『すいませんでした!』と同じ会見の語感だった。
NHKの記者が安田純平さんに対して「解放された瞬間どの様な気持ちでしたか?」と質問したのに対して安田さんは、

荷物をすべて奪われたので、そのことがとにかく頭にきている。3年、40か月全く仕事も何もできなかったうえに、すべての資産であるカメラであったり仕事のための道具それまで奪われたというか、そこまでするかという。解放の瞬間はまずそれですね。

←あなた人質だったんだよね。

1回目:2003年イラク軍に拘束される

2回目:2003年イラク警察に拘束される

3回目:2004年バクダットで武装勢力に拘束される

4回目:2009年MYUに拘束される

5回目:2015年ヌスラ戦線に拘束される

世間からプロ人質といわれ可愛そうでした!
世間からプロ人質の妻役といわれ可愛そうでした!
母親は鶴を一万羽以上折り、足りない分は韓国風にして安田さんの無事を祈っていたのが可愛そうでした!

1997年
信濃毎日新聞社記者に。松本本社に在籍し、以後、計10町村の行政・経済など市民の暮らし全般を担当。北アルプスの山小屋のし尿処理問題を扱った連載「待ったなし 北アし尿処理」に参加。その後、信州大学を担当し、脳死肝移植などを取材。

2002年
3月、休暇をとってアフガニスタン取材。

4月、文化部に異動。

12月、休暇をとってイラクを取材。

2003年
1月末日、退社してフリージャーナリストに。

2月中旬からイラクを取材。一時出国するも開戦直後に偽造「人間の盾」ビザで再入国。ホテルに泊まって勝手に取材するつもりがイラク軍に拘束され、観念してバグダッド南部のドーラ浄水場に入る。その後もイラク警察などに数回拘束されるが、フセイン政権崩壊後まで滞在し、中部ナジャフなどを取材して帰国。

10月、イラクを取材。バグダッドを中心にクルド人地域、サマワなどを取材。

2004年
3月からイラクを取材。主にバグダッドに滞在。

4月14日、バグダッド西方アブグレイブで地元住民の自警団にスパイ容疑で拘束される。

同17日解放。

2005年
1月、スマトラ沖地震・津波で甚大な被害を受けたインドネシア・アチェ州を取材。

2月、アチェ州で、インドネシア軍の軍事作戦に苦しむ津波被害者らを取材。

7月、ヨルダン、シリアでイラク関連取材。

10月、イラク北部を取材。

2007年
2~5月、クウェートでイラク戦争民営化取材のため労働者になるために就職活動。

5~12月、イラク中南部ディワニヤのイラク軍訓練基地建設現場で料理人をしながら取材。

12月~翌年1月、イラクの首都バグダッド・インターナショナルゾーン内の民間軍事会社事務所で料理人をしながら取材。

2008年
10~12月、戦場出稼ぎ労働者の実情でインド、ネパールで取材。


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