『我々の存在、我々の人生というものは一つの命である。その命は、宇宙の本質たる限りなき創造変化、すなわち〈動いて已まざるもの〉であるがゆえに「運命」という。つまり、「運命」はどこまでもダイナミックなものであって、決して「宿命」ではない。』
安岡正篤──人間学講話 運命を創る
の冒頭はこの一節により始まる。命であるが躍動変幻する。この矛盾が飲み込めるならこの講話は卒業してよい。命ゆえに苦しみ喜ぶ人生を矛盾と感じる人になるまでにいくつもの関門を超えなければならない。その上で矛盾を躍動として動かし、躍動を命として止めて見せることがいつでもできるようになるには深く死を許容できなければならない。
王陽明の詩には視覚的にもダイナミックな傑作がある。安岡正篤自身こういう心境に共感したのだろう。
「泛海」
險夷原不滞胸中
何異浮雲過太空
夜静海濤三萬里
月明飛錫下天風
險夷原不滞胸中
何異浮雲過太空
夜静海濤三萬里
月明飛錫下天風
続きがある
「命」は絶対的な働きであるけれども、その中には複雑きわまりない因果関係がある。その因果律を探って、それによって因果の関係を操作して新しく運命を創造変化させてゆく──これを「立命」という。「物」についてそれを行うのが「科学」である。ところが、この物の科学でさえ容易ではない。いわんや人間においてをやである。人間に関する命数の学問、つまり近代の言葉でいう「人間学」というものは、さらに難しく、同時にまた非常に興味深いものである。