『記事には日本人の消息をのせなければならない 。投稿を待っているだけでなく 、こちらからたずねてゆくこともある 。交通機関は汽車だが 、その費用を節約するため 、貨物列車にもぐりこんだりもした 。しかし 、これはどの駅でも停車するわけではないので 、おりたい駅が近づいた時 、スピ ードがおそくなるのをみはからって飛びおりるのである 。柔道を習っておいたのが 、こんなところでも役に立った 。日本から知名人が来たと知ると 、その談話を取りに出かける 。星がニュ ーヨ ークの少し北のボストンへ出かけ 、新渡戸稲造に会ったのはこの年であった 。彼は星より十二歳としうえの三十七歳だった 。』
『星は親友の安田作也を自分の後任としてアペンジャー家に推薦し 、あれこれ教えて仕事の引きつぎをした 。そして 、思い出の多いサンフランシスコをあとに 、汽車で東部へむかった 。明治二十九年 (一八九六 )の五月中旬 、満二十二歳であった。』
星新一はあまり父の若い時のことは知らずにいたようで、多くの古い記載は杉山の「百魔」や「俗戦国策」などから引用されて描かれている。まだフェアチャイルドの別荘での住み込み下僕の仕事が決まる前で、日本製布地の商売も思うに任せず苦労していた時、学費を貯めることに相当苦労している。やがてあるアイディアから独立の道を拓く。新聞記事の販売、それに続く「ジャパン・アンド・アメリカ」という週刊紙の発行である(このころ野口英世と友人になっている野口は明治三十三年1900年にペンシルバニア大学フレキスナーの研究室に転がり込むようにして渡米している)。しかしこの事業も赤字続きであった。借金経営で行き詰ってしまう。頼りは伊藤博文との補助金の約束であったが、政治環境が悪く進まない。結局博覧会の販売収入で黒字化して事業を一旦縮小する。
この記載のように二十五歳の星一と新渡戸稲造はアメリカで会っている。苗字は同じでも血縁のない星亨も同じ時期明治三十年に米国公使として四十七歳で赴任している。「ジャパン・アンド・アメリカ」二号の発行の頃、杉山とニューヨークで八年振りに再会したのは多分明治三十一年九月のことだろう。この年、杉山の推薦で案内役として伊藤博文とも会っている。ヨーロッパも見ることができた。
杉山茂丸との縁を作る安田作也との出会い、さらには星亨と杉山茂丸の出会い、明治の世間は狭い。志が世界を狭くする。
庵主茂丸曰く、「人間の最高目的は独立である。」星一は見事に自助によって立身栄達した。様々に満足すべき選択肢が合ったにも関わらず、困難な道を選んだことに深く影響したのは中村正直訳「西国立志編」の影響だった。
明治の日本人は先人の肩に乗り少しずつ、先人よりも遠い世界を見ていたのである。それは結局自分自身をその遠い先に捜す旅であり研鑽であった。渡米の志以来それを捨てなかった和魂洋才の完成という星一の志は他の市井留学組とは全く異なっていた。星一のすごいところは、また帰国後ゼロになって考えてみたということであろう。
製薬業は全く無縁の事業であったが、なんでもできる自信に満ちて帰国した。この話は突然に終わる。
中村正直
幕臣の子、昌平坂学問所で佐藤一斎に学び、慶応二年(1866)渡英、同四年(1868)帰国、明治になって大蔵省出仕、その後東大教授、元老院議官、貴族院議員等を歴任した。サミュエル・スマイルズの「西国立志編」やJ・S・ミルの「自由之理」を翻訳者として知られ、これらは当時広く読まれた。この中村正直に「山岡静山先生伝」という小文がある。この小文から静山を分析したい。
「近来、槍法の絶技なるもの、山岡先生に踰ゆるなし」で始まり、「人と為り剛直阿らず、質朴を重じ、気節を尚び、人倫に篤く、家甚だ富まざるも、食客門に満つ、後多く名士を出す」とあり、「親に事へて孝なり、父没し母多病なれば、先生看護懈らず、書室に牌を掲げて曰く、七の日省墓、三八聴講、一六按摩と、按摩を以て課を立ては、古今絶えて無き所なり」
山岡静山
1829-1855 幕末の武士,槍術家
この山岡静山こそ山岡鉄太郎(鉄舟)の師匠であり、義兄である。巨人の肩の上に乗り高き志を得るとはまさにこのような巡りあわせのことを云うのだろう。静山曰く「嘗て曰く、凡そ人に勝たんと欲せば、須らくまず徳を己に修むべし。徳勝て而して敵自ら屈す。是を真勝となす。若し技芸孼刺に由て而して得べしと謂は、即ち大に謬れり」
西国立志編
イギリスの著述家 サミュエル・スマイルズの『自助論』 Self-Help (1859) をはじめて中村正直が翻訳したもの。明治4 (71) 年刊。
幕末イギリス留学生の監督として渡英した中村は明治維新後の文明開化の風潮のなかで封建思想打破とともに近代的人間の確立を目指して本書を翻訳刊行した。一時日本の教科書にも採用されたが、文部省は翻訳本を嫌い、許可制の下1883年(なぜ?バカじゃないの。)使用を禁止した。同じ年、文部省は東京帝国大学で英語による教授を廃止して日本語を用いる事、ドイツ学術を採用する旨を上申(なぜ?バカじゃないの。)
“Heaven helps those who help themselves” is a well-tried maxim, embodying in a small compass the results of vast human experience.
The spirit of self-help is the root of all genuine growth in the individual; and, exhibited in the lives of many, it constitutes the true source of national vigour and strength. Help from without is often enfeebling in its effects, but help from within invariably invigorates.
Whatever is done for men or classes, to a certain extent takes away the stimulus and necessity of doing for themselves; and where men are subjected to over-guidance and over-government, the inevitable tendency is to render them comparatively helpless. Even the best institutions can give a man no active help. Perhaps the most they can do is, to leave him free to develop himself and improve his individual condition. But in all times men have been prone to believe that their happiness and well-being were to be secured by means of institutions rather than by their own conduct.
Hence the value of legislation as an agent in human advancement has usually been much over-estimated. To constitute the millionth part of a Legislature, by voting for one or two men once in three or five years, however conscientiously this duty may be performed, can exercise but little active influence upon any man’s life and character. Moreover, it is every day becoming more clearly understood, that the function of Government is negative and restrictive, rather than positive and active; being resolvable principally into protection―protection of life, liberty, and property.
Laws, wisely administered, will secure men in the enjoyment of the fruits of their labour, whether of mind or body, at a comparatively small personal sacrifice; but no laws, however stringent, can make the idle industrious, the thriftless provident, or the drunken sober. Such reforms can only be effected by means of individual action, economy, and self-denial; by better habits, rather than by greater rights.
The Government of a nation itself is usually found to be but the reflex of the individuals composing it. The Government that is ahead of the people will inevitably be dragged down to their level, as the Government that is behind them will in the long run be dragged up. In the order of nature, the collective character of a nation will as surely find its befitting results in its law and government, as water finds its own level.
『星は親友の安田作也を自分の後任としてアペンジャー家に推薦し 、あれこれ教えて仕事の引きつぎをした 。そして 、思い出の多いサンフランシスコをあとに 、汽車で東部へむかった 。明治二十九年 (一八九六 )の五月中旬 、満二十二歳であった。』
星新一はあまり父の若い時のことは知らずにいたようで、多くの古い記載は杉山の「百魔」や「俗戦国策」などから引用されて描かれている。まだフェアチャイルドの別荘での住み込み下僕の仕事が決まる前で、日本製布地の商売も思うに任せず苦労していた時、学費を貯めることに相当苦労している。やがてあるアイディアから独立の道を拓く。新聞記事の販売、それに続く「ジャパン・アンド・アメリカ」という週刊紙の発行である(このころ野口英世と友人になっている野口は明治三十三年1900年にペンシルバニア大学フレキスナーの研究室に転がり込むようにして渡米している)。しかしこの事業も赤字続きであった。借金経営で行き詰ってしまう。頼りは伊藤博文との補助金の約束であったが、政治環境が悪く進まない。結局博覧会の販売収入で黒字化して事業を一旦縮小する。
この記載のように二十五歳の星一と新渡戸稲造はアメリカで会っている。苗字は同じでも血縁のない星亨も同じ時期明治三十年に米国公使として四十七歳で赴任している。「ジャパン・アンド・アメリカ」二号の発行の頃、杉山とニューヨークで八年振りに再会したのは多分明治三十一年九月のことだろう。この年、杉山の推薦で案内役として伊藤博文とも会っている。ヨーロッパも見ることができた。
杉山茂丸との縁を作る安田作也との出会い、さらには星亨と杉山茂丸の出会い、明治の世間は狭い。志が世界を狭くする。
庵主茂丸曰く、「人間の最高目的は独立である。」星一は見事に自助によって立身栄達した。様々に満足すべき選択肢が合ったにも関わらず、困難な道を選んだことに深く影響したのは中村正直訳「西国立志編」の影響だった。
明治の日本人は先人の肩に乗り少しずつ、先人よりも遠い世界を見ていたのである。それは結局自分自身をその遠い先に捜す旅であり研鑽であった。渡米の志以来それを捨てなかった和魂洋才の完成という星一の志は他の市井留学組とは全く異なっていた。星一のすごいところは、また帰国後ゼロになって考えてみたということであろう。
製薬業は全く無縁の事業であったが、なんでもできる自信に満ちて帰国した。この話は突然に終わる。
中村正直
幕臣の子、昌平坂学問所で佐藤一斎に学び、慶応二年(1866)渡英、同四年(1868)帰国、明治になって大蔵省出仕、その後東大教授、元老院議官、貴族院議員等を歴任した。サミュエル・スマイルズの「西国立志編」やJ・S・ミルの「自由之理」を翻訳者として知られ、これらは当時広く読まれた。この中村正直に「山岡静山先生伝」という小文がある。この小文から静山を分析したい。
「近来、槍法の絶技なるもの、山岡先生に踰ゆるなし」で始まり、「人と為り剛直阿らず、質朴を重じ、気節を尚び、人倫に篤く、家甚だ富まざるも、食客門に満つ、後多く名士を出す」とあり、「親に事へて孝なり、父没し母多病なれば、先生看護懈らず、書室に牌を掲げて曰く、七の日省墓、三八聴講、一六按摩と、按摩を以て課を立ては、古今絶えて無き所なり」
山岡静山
1829-1855 幕末の武士,槍術家
この山岡静山こそ山岡鉄太郎(鉄舟)の師匠であり、義兄である。巨人の肩の上に乗り高き志を得るとはまさにこのような巡りあわせのことを云うのだろう。静山曰く「嘗て曰く、凡そ人に勝たんと欲せば、須らくまず徳を己に修むべし。徳勝て而して敵自ら屈す。是を真勝となす。若し技芸孼刺に由て而して得べしと謂は、即ち大に謬れり」
西国立志編
イギリスの著述家 サミュエル・スマイルズの『自助論』 Self-Help (1859) をはじめて中村正直が翻訳したもの。明治4 (71) 年刊。
幕末イギリス留学生の監督として渡英した中村は明治維新後の文明開化の風潮のなかで封建思想打破とともに近代的人間の確立を目指して本書を翻訳刊行した。一時日本の教科書にも採用されたが、文部省は翻訳本を嫌い、許可制の下1883年(なぜ?バカじゃないの。)使用を禁止した。同じ年、文部省は東京帝国大学で英語による教授を廃止して日本語を用いる事、ドイツ学術を採用する旨を上申(なぜ?バカじゃないの。)
“Heaven helps those who help themselves” is a well-tried maxim, embodying in a small compass the results of vast human experience.
The spirit of self-help is the root of all genuine growth in the individual; and, exhibited in the lives of many, it constitutes the true source of national vigour and strength. Help from without is often enfeebling in its effects, but help from within invariably invigorates.
Whatever is done for men or classes, to a certain extent takes away the stimulus and necessity of doing for themselves; and where men are subjected to over-guidance and over-government, the inevitable tendency is to render them comparatively helpless. Even the best institutions can give a man no active help. Perhaps the most they can do is, to leave him free to develop himself and improve his individual condition. But in all times men have been prone to believe that their happiness and well-being were to be secured by means of institutions rather than by their own conduct.
Hence the value of legislation as an agent in human advancement has usually been much over-estimated. To constitute the millionth part of a Legislature, by voting for one or two men once in three or five years, however conscientiously this duty may be performed, can exercise but little active influence upon any man’s life and character. Moreover, it is every day becoming more clearly understood, that the function of Government is negative and restrictive, rather than positive and active; being resolvable principally into protection―protection of life, liberty, and property.
Laws, wisely administered, will secure men in the enjoyment of the fruits of their labour, whether of mind or body, at a comparatively small personal sacrifice; but no laws, however stringent, can make the idle industrious, the thriftless provident, or the drunken sober. Such reforms can only be effected by means of individual action, economy, and self-denial; by better habits, rather than by greater rights.
The Government of a nation itself is usually found to be but the reflex of the individuals composing it. The Government that is ahead of the people will inevitably be dragged down to their level, as the Government that is behind them will in the long run be dragged up. In the order of nature, the collective character of a nation will as surely find its befitting results in its law and government, as water finds its own level.