公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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書評 「世界を操る支配者の正体」馬淵睦夫著

2014-11-25 11:03:00 | 今読んでる本

タイトルからして陰謀論的まやかしに満ちていそうだが、さにあらず、2008年に外務省を退任するまで1971年から37年間キューバやウクライナの大使などを務めた筋目正しい方の著作である。ソ連時代からのロシア通の外交官である。10月初版、2014年7月原稿作成段階で、かなり私と似た分析を言っている。世界を客観的に観察して歴史を踏まえて吟味すれば、昨今の国際情勢の異変、大方の結論は、あからさまな内政干渉:グローバリズムの横暴の連続であることが明白で。世界を操るものの正体は、マスコミ以外の自発的分析者が共有している了解事項だ。
発行日は奇しくも、たまりかねて私が明確にソロス批判を始めた10月16日が初版第1刷の発行日となっている。
特に評価するのは、第5章に言及される「正邪が逆転した世界」アイン・ランドの『利己主義という気概』に著されたイデオロギーに触れているという点。「人の征くところ、精神が物質に先行する。」というのが私の評価原理の一つだからこういう作品は大いに勉強意欲を駆り立ててくれる。米国の中央銀行設立をめぐるアンドリュー・ジャクソン大統領の命をかけた戦い、大統領暗殺の動機など、歴史を知らなかったこともあり、教えられる事が多い。
国境をまたいだ銀行家の軍門BISに中央銀行が間接的に所属していることは日本も同じだ。


グローバリズムは以下のように法則化されている。ズビグニュー・ブレジンスキー
「相互依存は確固たる事実で、国境を超えた投資や人、商品の動きの自由化が世界経済の成長と民主主義を保証する。」(簡略にまとめた)
と、全く必然の自然的発展、不可避の結末と定式化して主張する。資本や商品(あるいは労働力)の自由な動きと民主主義は何の関係もない。

ブレジンスキーの祖先は、ウクライナに荘園*(現在のベレジャニ市)を持つポーランドの名門貴族のシュラフタ制度の貴族(ポーランドは出自に寛容な制度を持っていた)



デヴィッド・ロックフェラーもグローバリズムの主張は全く同様である。この理屈どこかで聞いたことはないか。そうマルクス主義のソ連派(70年代の日本共産党)が全く同じように避けられない社会主義革命の必然を主張していた。

結論)影の支配者が鼓吹するグローバリズムは哲学でも啓蒙でも学問でも何でもない、信じるか信じないかだけの洗脳のスキーム、支配のためのポストモダニズムでしかない。

その巧妙なところは、御用学者の供給にある。グローバル化によって、国境を超えて国際銀行業務と投資業務が一体化することを邪魔する政治的あるいは政策的選択は絶えず攻撃する仕組みを間接的に構築している点にある。
国民国家の伝統的統制や法体系が、乗り遅れた社会に固有の経済成長障壁であると印象付けようと、大学が政治組織化し自分たちの分身、ディアスポラとして御用学者を動員しているところだ。

あとは短い言葉とテキストにし何度も反証できない要点を思い出せるようにメディアで繰り返す(これは「わが闘争」におけるヒトラーと同じやり方)。わかったような顔してネガティブなテキストセットを流し続ける。
「政治とカネ」「ガラパゴス化」「談合体質」「ネトウヨ」「抵抗勢力」「密室政治」「ヘイトスピーチ」「みぞうゆう」「霞ヶ関主導」「国の借金」(後日これに「アベ政治」が加わる)
などという、内容も無く、ただただ古くてカッコの悪いイメージを投げつけ、反証できない要点(言われた側は、定義されてない雑言を否定するのだから「**」じゃないという反証は、はじめから言われた側には不可能という性質の非対称な議論の歪みがある。ここに付け入っているだけなのだが。)を繰り返しマスメディアで垂れ流す。メディアの役割は目移りさせることにあり、事実上国民を蒙昧の内に留めることにある。



海音寺潮五郎が、『史談と史論』アイヒマンと沢野忠庵(沢野忠庵ことクリストヴァン・フェレイラ)という段で、今では決して活字にできないことを書いている。最近それをサポートする証拠が露見した。小説家の鋭い洞察を引用しておく。

EICHMANN WAS A JEW, FLUENT AT YIDDISH. NAZI WAS A ZIONIST'S ORGAN TO CHASE JEWS OUT OF EUROPE TO ISRAEL.

June 11, 2001 NA (Network America) ewire
More on the McVeigh / Oklahoma Cover-up
http://www.votefraud.org/News/2001/6/061101.html
Eichmann spoke Yiddish, visited Palestine numerous times during the 1930s, called himself a Zionist according to several participants in that era, and was instrumental in setting up training camps in various parts of Europe for the Israeli commandos and “freedom fighters” who would be used in the brutal invasion and takeover of Palestine in 1948.

Hennecke Kardel, author of “Adolph Hitler: Founder of Modern Israel”, himself said to be an Austrian Jew by at least some authors, insists that Eichmann was himself Jewish.
ソロス曰く、ナチスがブダペストに送ったのはアドルフ・アイヒマンで、その任務はハンガリーに住む75万人のユダヤ人を「処理」することだった。


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