公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

書評 「考える生き方 」[Kindle版] finalvent (著)

2014-11-22 12:44:51 | 今読んでる本
ほぼ同年代のアルファブロガーと呼ばれる人物の人生が後悔を織り交ぜ綴られている。ここから始まる。

『ブログを書き始めて 1 0年ほどになる 。 「極東ブログ 」と 「 f i n a l v e n tの日記 」というものだ 。一か月にのべ 3 0万人くらいの人が閲覧してくれるが 、ブログの世界ではそれほど有名なものではない 。書いている私も 、著名人ではないし 、ブログによって著名になったという人でもない 。名前も 、特に隠したいという意図もなかったが本名ではなく 、 f i n a l v e n t (ファイナルベント )というペンネ ームにしていた 。つまり 、自分は無名人である 。これといって特徴もない無名人だ 。無名人である理由は 、社会的に成功しなかったからだ』

現在著者は多発性硬化症が進行し、
『でも 、老人になるのだ 。この自分が 、老人になる 。どうしたらいいのだろう 。働くことはできなくなる 。現在の日本は 、老人が 6 5歳まで働けという風潮になっている 。簡単にいえば 、国家財政が破綻しかけているので 、その年齢まで年金が支給できないからだ 。でも老人に職はあるのかといえば 、現実的な話 、あまりないだろう 。』
病を得て老人になることが一層恐ろしくなった世代がリアルに描かれている。あまり考えもせず大学に入学し、なんとかなると楽観的人生が急転する。もちろん結婚して幸せな家族がいる。それでも悩みは一人で抱える。老年とはそういうものだ。まだ入り口に過ぎないが。




もう一つ引用しよう
『老人の知恵みたいなものは 、老人にとっても罠なのだ 。老人は若い人のすることをできるだけ 、寛容に受け入れていくのが 、正しく老いていくことになる 。 「かまってちゃん 」にならないように老いていく 。その分 、自分の孤独をもっと受け入れていくのが賢い老人への道だとなんとなく思う 。できるかな 、自分 。老人になるのも 、そう簡単なものではない 。考えるべき課題は多い 。』

なるほど自分も「かまってちゃん」かもしれないなあ。じゃあなぜ老年は何かを得ようとすることに貪欲なのか。名誉にしても尊敬にしても何かを得て自分で持ってあの世に逝けると思ってるのだろうか。いやこの世に何か残したくて狂っているのかもしれない。貪欲という敵がいるのだ。

もう一つ引用しよう
『死はどんな死でも同じだとも言える 。が 、老いていくプロセスは 、死を学ぶ時間だとも言える 。』略『自分に希望がなくても 、誰かの希望を信じたほうがいい気がする 。じゃあ 、自分はそっち 。人類の希望を信じよう 。生きる命というのを信じよう 。』
そう、怖がっていてはいけないのだ。怖いから狂うのだ。怖くなければ地獄が終わるのだ。

さらにジョージ・ルーカスの言葉

『Joyは永続します。Pleasureは純粋に自己中心的な考えです。すべて自分自身に関するPleasureで、利己的な感情です、貪欲という自己中心的な動機から作られます。
Joyは共感です。
他の人やモノに対して、自分を捧げるのです。継続することによって、Pleasureよりもずっとパワフルになります。Pleasureにこだわっていれば破滅しますが、Joyを追いかければ永続する幸せを見つけることができるでしょう。

これで私の話は終わりです。バイバイ。ありがとう。』

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