〔昭和 2年刊 『猫の微笑 』 〕に収載の小作品に今さら書評の冠はおかしいが、見逃せないのが最後のこの展開にある。
遠州が死後に出会う利休に尋ねたら
「いや 、違ふ 。それは違ふ 」老人は樹の枝のやうな手を振りながら 、遠州の言葉を抑へました 。 「わしが賞めたのは 、千金にも代へ難いその誇りと執着とを 、茶器とともに叩き割つた持主のほがらかな心の持ち方ぢや 。ただそれだけの話ぢや 」 「それでは 、茶入をお賞めになつたのぢや … … 」遠州は呆気にとられて 、老人の顔を見つめました 。 「さうとも 。さうとも 。賞めたのは 、ただその心持ばかりぢや 」
死後に誰に会いたいか 意味の無い形式的問いだが、問うことは一つの感性である。なぜ会いたいか、自慢でもしたいか。
会ってみたい人は、
30年ほど前に死んだ学生時代の先輩、行動は共に出来なかったが、動機づけのお礼を言いたい。
有名人では、出光佐三。諦めない老年の覚悟を教えていただいた。
多くの巨人の肩に感謝することだろう。
福澤諭吉は『学問のすゝめ』で有名な冒頭に「万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ賜う趣旨なり。」と書いているが、万物の霊たる働きを全く当然のごとく筆を走らせていた日本はもう無くなってしまった。