もう50数年もまえのことだが、あまり個人情報漏洩が厳しくなかった時代、担任教師がある学級の学力上位の生徒を名指ししてオーバーアチーブメントの異常値を出していると悪し様に言い放ったことがある。
中学生徒の私は何の話かと思ったが。
人生ではじめて不愉快な世間を学校で感じたことはまさにこの話の時だ。
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その生徒の成績は教師の期待以上に良いのだから問題は無さそうなのだが、悪い例として紹介された。学級担任は多くのアンダーアチーバーを励ますため、受け持ち学級の成果を出すために言ったのだろう。
しかしオーバーアチーバーと言われている本人は自分の限界を決められて酷くショックを受けた。
たしかに母親は学力がなかったからそうだったのかもしれないが。
当時は教師側に知能指数学力決定論(石黒1971)の考えが強く、オーバーアチーブメントは挫折や病気の原因となるので、努力を抑制させるという教師ガイドがあったそうだ。
今となっては知能指数学力決定論など、正の相関ではあっても相関係数の低い笑い話だが(真実だったら進学塾産業が成り立たない)、教育の分野ではいまだにオーバーアチーバーは問題視されているようだ(小学校 6 年間におけるオーバーアチーバーと アンダーアチーバーの変動パターンの分析〇宮本友弘(聖徳大学)・倉元直樹(東北大学))
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ちなみに知能は70%遺伝で決まる。それもX染色体の上にほとんど置かれている。
学校の努力は学力についていえばせいぜい30%の世界なのです。
感動します!pic.twitter.com/q5WcywzQ3s
— ひで2022真実を追求 (@hide_Q_) October 14, 2024
つまりオーバーアチーバーは努力のし過ぎ、あるいは家族の強制、限界点挫折に弱く、不利益に遭うと他人を見下して批判する傾向が強い。というのが今でも大方の教育の定説となっていることが、このリンクからも読める。
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速水敏彦(1981).学業成績の原因帰属オーバーアチーバーとアンダーアチーバーに関連して 教育心理学研究 ,29, 80-83.
原岡一馬(1957). 学業成績に対する努力と家庭環境との関係 教育心理学研究, 4,29-40.石黒杉二(1971).記憶における動機づけの効果: III‐アンダーアチーバーとオーバーアチーバーの比較‐ 教育心理学研究,19, 98-106.
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私自身は他人以上に努力してるとは思ったことはなかった。あえていえば幾分か小学校から丁寧にやっており、
それには理由があって読字障害があり、国語は朗読を間違えないように予習が必要だった。
それと楽しいことに時間をかけていた。学校というところは辛いことを我慢してやる勉強の真反対である楽強(ラッキョウ)は許されない。
世の中には努力前提の教育の方が息ぐるしいという隠れた例外者がいること、つまり絶対的マイペース人間の晩成の器を21世紀になってもいまだに信じていないのが教育界の「専門家」たちらしい。
ちなみに私がそのオーバーアチーバーで、その時、中二で確か60%増し指数1.6だったと記憶する。その頃はなかった偏差値イメージにすると偏差値40相当の子が65以上を常に叩き出すという状況だったらしい。私はこれを聞いて、そんなに自分だけ器質的に努力の無駄なバカだったのかと一時的に暗い気持ちになった。本当にそうかもとも思った。
偏差値65以上は実はたくさんいて上位から約6.7%以上だから、まあ悪くてもそのくらいだろう。校内成績は中学では常に1%以内だったと思う。
文字通りその衝撃は一時的で、元来の楽強ラッキョウな学習姿勢を続ける私は自信を持ってその中学から行ける範囲(約2万人の卒業者が出る対象区画)の進学地域で一学級40人程度しかとらない進学高校の学級受験を希望した。
ところが、中学の学級担任から進路マッタが入った。ちなみに結果、第一志望の高校に合格したが、後日担任教諭に褒められた記憶はない。卒業後二度と会うことはなかった。
その担任はIQの高い子を自宅に呼んで勉強させる熱心さだったことを後日50年ぶりに会った同級生から聞いた。いい教師だったに違いない。
昔の話をほじくって何が言いたいかというと、そういう人間の成長、潜在能力を挫く非生産的な負のハビトスも世間にはあるということを知っておくべきだということ。
つまり今の教育は頭の良い子には勉強方法#や進学の方法や奨学金***をお知らせするが、頭の悪い子には行き先を振り分けるだけで、教育者として本当の解決を与えないという冷たい世間、負のハビトスがそこにあった。もちろん他の子たちには善意の世間#も門戸を開いていたらしい。しかし運悪くそういうハビトスには出会えることもなく、その存在さえも知らず縁がなかった子供には進学の可能性には気づかず通り過ぎる。
**希望学園・釧路第一高校。 1960 年、札幌市に本部をもつ希望学園が釧路に進出、地元釧路市も誘致期成会をつくって積極的に支援した。初代校長には、かって釧路市教育委員長をつとめ、私塾 「 湖陵梅楓塾 #」 を開いて、多くの英才を輩出した中川久平氏が就任、私学としての校風樹立に当った。#俗称中川塾のことだろう。
このような「世間」からなる社会で大人になるということは容易なことではない。子供はまず大人が建前の世界で生きていることを知ってしまう。明治以降設立された学校は欧米の制度をまねて作られたものであり、その意味では建前の世界のものだったのである。しかしその制度には単に建前であったといってすましてしまうわけにはいかない重要な面があった。 阿部謹也『世間とは何か』
***当時釧路市の奨学金は貧乏人向けのものではなかった。「釧路市奨学金は、収入制限がなく、他制度と併用可能な奨学金です。」役人は今でも同じことをやっている。
他方学校側が意図して頭のいい高得点IQ児を集めた学級には相互刺激の環境が生じるので、パフォーマンスは上がったのでしょう。そういう学級は羨ましいくらい教室が明るく生徒が前向きだった。担任は高学歴だったけどちょっと性癖に問題があったと聞くね。