神は存在(述語)であり同時に存在は神自身の生成である。よく見ればこのヘーゲルの主張は完全な汎神論である。それ故に多くの本で概念的に把握すると訳されていたBegreifenをしっかりと理解することが当時の自分には必要だった。(補:生成というのは数学的には写像であり、自己が対象の生成として現れるというのは、数学的には演算により体をなすという集合論に相当する)
問いは探求の目的地、絶対者としての結論を措定している場合にのみ、その構造を《概念的に把握する》ことができる。
イルミナティは、この時代を、自分たちが決定的な突破口を開くと思われた特別な黄金時代と見なしている。ヨハン・アダム・ヴァイスハウプト 1748年2月6日 - 1830年11月18日 ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル。1770年8月27日~1831年11月14日 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。哲学者のリチャード・ローティはヘーゲルについて、"哲学者は、どのような道を旅しても、その先にはヘーゲルが辛抱強く待っているのを見つける運命にある "と述べている。
若い時はこれに気づくことができなかった。《概念的に把握する》という断言は、地上の種々と天上の絶対運動を繋ぐ、非常に革命的な言葉だった。
つまり諸分析の帰納によって矛盾を排した正確な認識に漸近するのではなく、概念的把握によって思惟(写像に規定された体)自体を変えよと言っている。
ヘーゲルの左派的主張の根幹がここにある。
絶対者はどこからやってきたのかという事も隠されていたから当然若い読者である自分には気づくこともできなかった。
イルミナティ三人物ヘーゲル、ゲーテ、アダム・ヴァイスハウプトを知っておかなければその後のマルクスの登場も説明がつかない。その思考変更のインチキ性は人間の問いが生まれる遥か前に問いは本質に向かって答えを措定している。人間は段階が成熟しないと問うことができないという劣後存在でありながら、その全ての段階で絶対者に向かっている《概念的に把握する》謎がインチキなのだ。