公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

切り取りダイジェスト 概念的に把握することのインチキ性

2024-01-22 12:14:00 | 意見スクラップ集
神は存在(述語)であり同時に存在は神自身の生成である。よく見ればこのヘーゲルの主張は完全な汎神論である。それ故に多くの本で概念的に把握すると訳されていたBegreifenをしっかりと理解することが当時の自分には必要だった。(補:生成というのは数学的には写像であり、自己が対象の生成として現れるというのは、数学的には演算により体をなすという集合論に相当する)
 
かつて読んだ 『されど我らが日々』 柴田翔 - 公開メモ    DXM 1977  ヒストリエ

かつて読んだ 『されど我らが日々』 柴田翔 - 公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

30年数年ぶりに柴田翔の「されど我らが日々」を読んだ。柴田翔は存命であり、大学で教えている立場か、引退したかだが、私がこの小説を読んだのは大学の寮生の時だった。...

goo blog

 

問いは探求の目的地、絶対者としての結論を措定している場合にのみ、その構造を《概念的に把握する》ことができる。

 
精神現象学 完訳 ヘーゲル 樫山欽四郎訳 - 公開メモ    DXM 1977  ヒストリエ

精神現象学 完訳 ヘーゲル 樫山欽四郎訳 - 公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

発行日2018年10月5日Ver.1.00著者G・W・F・ヘーゲル訳者樫山欽四郎(樫山文枝の父)発行者下中美都発行所株式会社平凡ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘー...

goo blog

 
 
イルミナティは、この時代を、自分たちが決定的な突破口を開くと思われた特別な黄金時代と見なしている。ヨハン・アダム・ヴァイスハウプト 1748年2月6日 - 1830年11月18日 ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル。1770年8月27日~1831年11月14日 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。哲学者のリチャード・ローティはヘーゲルについて、"哲学者は、どのような道を旅しても、その先にはヘーゲルが辛抱強く待っているのを見つける運命にある "と述べている。


 
若い時はこれに気づくことができなかった。《概念的に把握する》という断言は、地上の種々と天上の絶対運動を繋ぐ、非常に革命的な言葉だった。

つまり諸分析の帰納によって矛盾を排した正確な認識に漸近するのではなく、概念的把握によって思惟(写像に規定された体)自体を変えよと言っている。

ヘーゲルの左派的主張の根幹がここにある。
絶対者はどこからやってきたのかという事も隠されていたから当然若い読者である自分には気づくこともできなかった。
 
イルミナティ三人物ヘーゲル、ゲーテ、アダム・ヴァイスハウプトを知っておかなければその後のマルクスの登場も説明がつかない。その思考変更のインチキ性は人間の問いが生まれる遥か前に問いは本質に向かって答えを措定している。人間は段階が成熟しないと問うことができないという劣後存在でありながら、その全ての段階で絶対者に向かっている《概念的に把握する》謎がインチキなのだ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 原爆免責 トルーマン | トップ | ゾンビ企業の比率は17.1%に... »
最新の画像もっと見る