中世の悪党、国人の行動原理がわからなければ日本人の芯にある自力救済の大和心は理解不能である。社会システムがどうにも信用ならぬもの(多くの家畜は屠場に行くまではいかにも至福の平和を謳歌しています。この国は一旦農場を出たら徒手空拳で自分を守る自力救済しかないですね。それゆえに私はこの民主主義をLivestock Democracyと呼ぶ)になったとき、日本人はどのように行動し何を守ろうとしたのか。この過去に向けた問いは現代の日本が社会システムの側からグローバリズムや親中の浸透で日本人の固有の価値観(除夜の鐘から皇統まで)が守られなくなってきている今こそ意味のある反省の問いである。
一見穏やかな日常もエネルギー供給とサプライチェーンの恒常性によって成り立っている。マスク一つでも脆弱な現代は心的クニを失った時代に近づいている。
『喧嘩両成敗の誕生』 清水克行 講談社2005 年
あとがきの室町期ドラマが面白くないという問題意識が面白く、私も以前からそう思っていて、興味深く感じたので読んでみる。我々の祖先は非常に特異な精神世界と世俗世間の中で自力救済を戦ってきたということがよくわかる。イエ ムラ マチ クニという基本構造が現代人の精神の中に埋もれている。悪党、国人の行動原理がわからなければ日本人の芯にある大和心も理解不能である。そういう発見をしてみたいと思いつつ読む。
切腹の選択が名誉ある刑罰となったのは、室町期であった事情が刑罰本人主義による抗争の拡大の抑制という理由なのは面白い。自力救済の時代にどのように秩序維持の道理を通すか必ずしも、状況によっては真犯人を見つけて処罰するとは限らない。中央集権が弱かった中世の常識は所属する集団が事件を処理していた。下手人という用語も、相対主義の帳尻合わせで、犯人とは限らなかった。赤松義雅は失踪し、なんと同じ自分たちの支配下の被官代理人が切腹した。この発想には紛争解決が正義を上回るという帰属集団本位主義が基礎にあるが、イエ ムラ マチ という基本構造=帰属集団が消滅した時の被官を得るまでの過酷さが理解できなければ、理不尽なことである。もうお分かりだろうが、正義や罪刑対応などどうでもよく、起訴事実や正義より相互復讐の均衡が重要だったのが、大和心の有り様である。平和的現世調和と猛々しい真善美の道の連立式が大和心である。
喧嘩両成敗とは集団間の相対処理の知恵であった。赤穂事件も浅野内匠頭切腹の刀を下賜した時点で敵討ちが義務となったと考えたのかもしれない。しかし本当は織豊時代以降江戸期に統一政権が出来てからは自力救済は最小限の執行になって行く。敵討ちや仇討ちも許可制になるし、ましてや喧嘩両成敗を大義として権力の裁定を無視することはアナーキー過ぎた。そうでありながら、理性の社会面は簡単に持続しない。相互復讐の均衡が台頭してきている。
このように中世の日本人は熱かった。近頃は熱心な日本人は欲付きなので近づきたくない。大和心の歴史変遷は深い。
理性は疑問を小さくする道具であり安定した社会を造るレンガである。
だから為政者には疑問の少ない社会が好まれる。究極に為政者が望むように社会を安定するためには国民の思考を停止するしか無い。