懐かしいオヤジと酒を酌み交わしているような古本の味わい。
三一書房 1971年 3月15日 第一版一刷
『唯物史観の原像』廣松渉著
この手の本としては売れた方だろう。廣松は70年代のインテリ青年に近い存在の先生という感じ。行間には初期マルクスを知らずに左翼になった向坂逸郎らの先行世代をぶち壊す炎が並ぶ。この一瞬の期間だけ初期マル研究者が日本に豊富だった。
どこを読んでも懐かしい術語が並ぶ。この原像探しは、当時の左翼にマルクスの裾野を人間主義的に啓蒙することとなったが、マルクス主義に対するヒューマンな誤解も拡大した。マルクス自身が人間の政治的解放では不十分で、人間の人間的解放が実現されなければならない、その頭脳が哲学で心臓がプロレタリアートと書いていたから、たぶん『ユダヤ人問題に寄せて』の一節、余計にマルクス主義を誤解させた。特に哲学青年は哲学を止揚する主体がプロレタリアート他ないというくだりには痺れた。無学の人は四王天信孝さんをご覧ください。
城塚登の「経済学哲学草稿」で左翼になった者は政治的に使い物にならないと言っていたのは、筋金入りのアンチスターリン主義者であった。
戦時「真実は極めて重要で、うそに守られていなければならない」と言ったのはチャーチルだが、哲学で守られた政治的解放=破壊の指針がマルクス主義だった。
あとがき
「著者にとってこの作業が力量に余りすぎるという事情もさることながら、本書の性格に鑑みて、案件のいくつかについては敢えて禁欲した向きもある。」
こういう人々と同時代に生きたことは自分の一部になっている。最近分かってきた残念な事実がある。数え方にもよるが、マルクスの著作は23作知られている。実はマルクスの著作は100編ほどあり、その88%が秘密に隠されているということだ。マルクスの一面だけを必死に研究していたこれらの先人は本当のマルクスを何も知らずに死んで幸せだったかもしれない。
経済学・哲学草稿を知らない人はこちら↓を読んでみて頂戴。
城塚 登(しろつか のぼる、1927年7月20日 - 2003年4月28日)は、日本の倫理学者、社会思想史家、東京大学教養学部名誉教授。
経済学・哲学草稿 カール・マルクス 田中吉六共訳 岩波文庫 1964
廣松 渉(ひろまつ わたる、男性、1933年8月11日 - 1994年5月22日)は、日本の哲学者、東京大学名誉教授。短命だった。