公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

感性の陥穽

2010-02-01 12:06:51 | 日記
「実践なき理論は空虚である。理論なき実践は無謀である。」

日本人の感性によって創造された商品や事業には、こまやかな観察へといざなう感受力と精緻なものへと進む想像力が背景にある。しかし、時に感性が陥穽ともなる。

事業を起こしてみる、あるいは物を設計施工してみるということは、感性的であるまえに合理的だ。理論がその合理のすべてをカバーしているわけではないが、合理(道理)が詰まった商品や事業は他との識別がつきやすい。反対に感性が詰まった商品は美しくとも、合理(道理)が欠けていることで評判を失いやすい。

日本人が最も得意であろうと思われた感性の詰まった商品、iPhoneやiPadはどうして日本で生まれなかったのか、デザインという観点で合理的発想が足りないのではないだろうか。
難解なクオリア理論が合理的なものならばもっと日本の商品は浸透していただろう。感性が陥穽となった事例だ。
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