公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

今読んでる 『日航123便 墜落の新事実』 青山透子 スコーク7700の偶然

2019-12-11 13:24:29 | 今読んでる本
 1985年8月12日18時12分、大阪・伊丹空港に向けて羽田空港を飛び立った日本航空123便は、同日18時56分に御巣鷹の尾根に墜落した。乗客乗員524人中520人が死亡するという、単独機としてはいまだに世界最大の航空機事故となっている。


新事実として

1985年8月12日18:24:39爆発音に気づく18:24:42日航機機長によるスコーク7700¥発信 日没にはまだ早い時刻に多くの人がこの後32分間のどこかで目撃していた。操縦不能となる18:45:46から墜落まで10分間どれほどの地獄があったことか。しかし。新事実は18:30-35藤沢市でファントム二機が目撃され18:45まで123便を追っていたということ。

自分が気づいた範囲でこの本のなにが重要なのかというと、たまたま近傍をファントムが飛んでいる場合を除き、スクランブル発進で6分で123便に追いつくことは不可能であるということ。現在でも通常訓練のスクランブル時、搭乗発進までにアイドリング5分はかかっている。このファントム機の所属は明らかになっていない。あるいは存在しないのかもしれない。

なぜなら自衛隊機はファントム2機百里基地スクランブル発進命令が19:01、同発進19:05(4分間所要かなり優秀というか、優秀すぎる。準備していた証拠)となっている。このファントムと123便が併進することはこの世にはなかった。なぜならこの時点で日航機は御巣鷹山に墜落していた。

最初の日のある内に飛んでいた未発表ファントム機の所属はどこだろう?

この時期相模湾での短SAMシースパロー(艦対空)の試験中であったということから、以降は推測の積み重ねだが、試験開発中の打ち放し型ミサイルの実証試験中に複数のターゲットまたはモックアップのミサイル機が衝突、一機は123便にオレンジ色の物体が突き刺さったまま飛行。この証拠を消すために時間差を設け、あり得ないガソリンとタール臭のする引火物で生存者を含め口消しのために焼き尽くした。たまたま谷に落ちた最後尾までは隠滅できなかったので生存者が残った。

おそらくファントムと日航機機長は手交信していただろう。故に速攻でスコーク7700だった。こういう話だったという印象。

青山透子の真実を求める戦いについては是非ここを読んでいただきたい。ただし週刊金曜日に参加することに無自覚か自覚かは読み取れないようになっている。

¥尚、スコーク7700はANA37便が2017年同じ日付同じ時刻に同じ伊丹行きで発している。

 


JAL 123便
1985年8月12日 羽田→伊丹
18時24分緊急事態発生 スコーク7700
18時56分墜落

ANA 37便
2017年8月12日 羽田→伊丹
18時24分頃緊急事態発生 スコーク7700
18時54分羽田に緊急着陸


これは偶然?ではなく、何らかの警告である。

 32年も経ってこのようなピッタリ同じ日時に羽田→伊丹便に偶然があったということはわかる人にはわかる信号を伝えたということです。その相手はもちろん安倍晋三、メッセージは調子に乗るなよ。

33回忌の昨日12日、18時発の全日空37便(羽田空港から大阪伊丹空港行き)が、離陸して20分後位に機内の気圧が急激に低下したとして、羽田に引き返し19時前に緊急着陸をしました。ちょうど相模湾上空で引き返した、ということになります。CAのアナウンスの声が震えていたそうですが、おそらく日航機事故を思い出したのかもしれません。

32年前、同じように18時羽田空港発の日航123便は機内与圧低下によって垂直尾翼が吹き飛んだという理由で、結果的に、御巣鷹の尾根に墜落しました。

同日同時刻、同じルート。そして与圧系統の故障で機内の気圧低下という理由。これは単なる偶然なのでしょうか。

もし、見えない力というものがあるとするならば、私はこれは天空の星たちのメッセージが込められているのではないだろうか、そして与圧低下の状況を客観的に教えてくれたような気がします。

これは「魂の叫びではないだろか」と言ってくれた恩師の教授もいます。私も「風化させてはならない、あの日を忘れないでほしい」そういう520名のメッセージだったのだと確信します。



 

ちなみにこの本『日航123便墜落の新事実』は2017年7月30日である。

去年

でた新刊もあるらしい。日航123便墜落 遺物は真相を語る 河出書房 発売日:2018.07.27

理解のために一部を引用する。

 

灼熱の夏に消えたあの人を想いながら 、流す 「涙 」が一粒でもある限り 、私たちは真実を追究し続けなければならない 。五百二十人ひとりひとりの人生が突然断ち切られ 、残された家族の未来も止まったあの時 。蒸した夏の匂いがいつもあの日をよみがえらせる 。何年経っても衝撃的な記憶はずっと心に深く残り続ける 。なぜ 、ファントム二機が墜落前の日航機を追尾していた事実を自衛隊は隠すのか 。なぜ 、日航機の機体腹部付近に 、赤い物体がくっついていたのか 。なぜ 、上野村住民たちが真っ赤な飛行物体を目撃したことに注目しないのか 。墜落場所が不明という報道にもかかわらず 、その夜のうちに自衛隊車輛や機動隊車輛が上野村に集結したのはなぜか?

 

 最初のファントム機は 試験をモニターしていた米軍機かもしれない。

もう当時の加藤防衛庁長官も亡くなっているし、今年はまた

当時の総理大臣で移動列車の中で事故をきいたが、初耳のような顔をしていた中曽根康弘大勲位が亡くなった当時の山下徳夫運輸大臣は2014年94歳で亡くなった

 

 

 


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