僕は実在であり、僕の心は非実在。郵便ポストの中の風 紙コップに溢れる雨の水 饒舌な沈黙 これらすべてはジョンレノンによる有限の中に押し込められた無限の表象である。
ヒルベルトのパラドックスは擬似パラドックスである。直観に反するが真であると証明される結論を導く。文「すべての部屋に客がいる」と「これ以上客を泊められない」は、部屋が無限にある場合は同値ではない。
最初はこの状態は非直観的に思えるかもしれないが、「無限のものの集まり」と「有限のものの集まり」の性質はまったく異なる。ヒルベルトの無限ホテルのパラドックスは、カントールの超限数の理論を用いて理解することができる。複数の部屋がある現実の(有限の)ホテルでは、奇数番号の部屋数は部屋の総数より明らかに少ないが、ヒルベルトいうところの無限ホテルでは、奇数番号の部屋数は部屋の総「数」より少なくない。数学用語でいうと、奇数番号の部屋全体を含む部分集合の濃度は、すべての部屋の集合の濃度と等しい。実際、無限集合は等しい濃度の真部分集合をもつ集合として特徴づけられる。可算集合(自然数全体と等しい濃度の集合)の場合、その濃度は(アレフ・ゼロ)である[4]。
連続体仮説とは、自然数の濃度 よりも大きい最小の濃度は連続体濃度(実数の集合の濃度)であり間に中間基数がない、また同等に と連続体濃度が等しいかと云う命題である。
言い換えれば、任意の可算無限集合Sについて、Sが自然数全体を真部分集合として含んでいたとしても、Sを自然数全体の集合に写像する全単射が存在するということである。たとえば、有理数(整数の分数で表せる数)全体の集合は、真部分集合として自然数全体を含むが、有理数全体は可算なので自然数全体の集合より大きくない(自然数全体から有理数全体への全単射が存在する)。