わたしは今は亡き藤山寛美のファンだった。藤山寛美は阿呆丁稚の役を得意としていた。むかしから落語にも喜劇にも愛すべき阿呆役があった。しかし寛美はいつの日か阿呆丁稚を封印し、演じるのを止めてしまった。それは弱者を笑い者にしていると言う世間の”良識”批判を避けるためだった。そして日本の劇場から底抜けに明るい笑いが消えた。
薄汚された日本というシリーズを不定期にやってみようとおもう。世の中の不公正は糾されなければならないが、糾す者が姑息に姿を見せなくなってから日本の伝統的文化背景と公共が蝕まれてしまったという認識をしている。
もうひとつ。子供の頃、自分の親の仕事帰りが遅いと近所のアカの他人の夕餉に加わって食事をしていた。子供は町内で育てた。しかしいつの間にか子供を育てるのは親だけの仕事になってしまった。社会がゆたかになるにつれ貧乏と困窮は隠し事になってしまった。他人の子供に対するやさしさが全国の町内から抜け落ちていった。
続く
薄汚された日本というシリーズを不定期にやってみようとおもう。世の中の不公正は糾されなければならないが、糾す者が姑息に姿を見せなくなってから日本の伝統的文化背景と公共が蝕まれてしまったという認識をしている。
もうひとつ。子供の頃、自分の親の仕事帰りが遅いと近所のアカの他人の夕餉に加わって食事をしていた。子供は町内で育てた。しかしいつの間にか子供を育てるのは親だけの仕事になってしまった。社会がゆたかになるにつれ貧乏と困窮は隠し事になってしまった。他人の子供に対するやさしさが全国の町内から抜け落ちていった。
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