公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

「悲劇の発動機『誉』」 前間孝則

2015-05-09 20:20:10 | 今読んでる本

p158 文庫版
『和田は設計主任である中川にも声をかけて励ました、と中川自身がその時の言葉を語った。「このエンジンこそ太平洋の主導権を決めることになる。一年でものにし給え、必要なら純金を使っても構わん。潤滑油も買い置きがあるから、アメリカの一番良質なものを使って良い。世界最高の技術を使い、最も高級な材料、燃料、潤滑油を使って高性能を出し給え。」和田は山本五十六のもとにあって航空重視政策を協力に推し進めてきた高官だけに、挑戦的な新技術の取り組みには理解があった。』

中川 良一(1913年(大正2年)4月27日 – 1998年(平成10年)7月30日)は、日本の航空技術者、自動車技術者。

昭和15年9月15日海軍は正式に試作を発注した。


まだ設計段階のコンセプトでありながら、非常に意欲的で画期的な試みで本当に実現したならば、言葉の通り太平洋の制空権を左右していたであろうが、海軍の姿勢には突出したスペック信仰がある。これはかなり高揚した異常な発言であったとしても、見過ごせないのは、量産できない戦争継続を度外視した発想が少しでも戦争指導者のビジョンに含まれていたならば、その時点で首だろう。その後の特攻も学徒出陣も同じである。「誉」として完成するこのエンジンの技術的不釣合いより前に、投資判断としてこの戦争は間違っていた。
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