『現代史の目撃者 リップマンとアメリカの世紀』 ロナルド・スティール
1982年 出版時2100円 TBSブリタニカ
9,800円
高い古本だ。重版がなかったのか初版しか手に入らなかった。まだ上巻しか手に入っていない。
図書館も身近なところを渉猟したが、見つからなかったのでやむなく購入。
もっと早く読みたかった本。リップマンという複雑な人間に投影されたアメリカの19世紀から20世紀初頭にかけての混乱の複雑さ、特にウィルソン大統領の参戦演説による展開、第一次大戦参戦判断とその後の停戦処理。この過程で本当に有能な働きをInquiryでしていたリップマンはウィルソンがハウス大佐を遠ざけることで、パリで活躍の場を失い、ウィルソン大統領のヨーロッパ上陸と入れ替わり、ボスであるハウス大佐もウィルソン大統領の信任を失って本土に帰国してしまう。ジェームズ・パーロフ(馬野周二訳)『権力の影 外交評議会「CFR」とアメリカの衰退――アメリカ国際謀略の伏魔殿を抉る!』(徳間書店、1992年)によるとエドワード・マンデル・ハウス大佐は社会主義シンパ工作者であったことは既に常識である。
wiki
In 1944, Major Jordan returned to business, and although he had a sideline as a public speaker, he attracted little attention until 1949 when interest in Soviet nuclear espionage was at its peak. After President Harry Truman announced the first Soviet atomic bomb test, Jordan consulted his ledgers. He found that uranium, heavy water, other nuclear weapons related materials, and related schematics and papers had gone through Great Falls to the USSR. Jordan served in the Air Corps on United Nations duty from 10 May 1942 to spring 1944, being discharged from the service on 4 July 1944. At that time he did not understand the nature of many nuclear-related cargoes.
この10年間ほどのジャズ時代のアメリカ参戦の理想主義が、極端な反共保守主義に転換してしまう状況が、オバマ後のトランプ政権の有様によく似ている。戦争を終わらせるために参戦した理想にも関わらず、ヨーロッパの中心までバルカン化してしまった失敗は、ひとりウィルソン大統領のせいではないが、大きな責任があった。
その後の米国はウィルソン大統領の病床と禁酒法案の狂騒1920〜1931年というどうでもいい空回りをして、ナチスドイツの擡頭を許すまで、本当の政治を知るリップマンはいったいどんなジャーナリストであったのか興味深い。
リップマンの結論は、人間の啓蒙という理想主義とは真逆、客観的正確公正な輿論による民主主義など期待できない。やるべことは
『ひとりひとりの人間が公共の問題についてしっかりとした意見を持たなければならないという、実現性のない耐えがたい擬制』から人間を解放するという結論だった。
しかしながら、『ハースト*の手口を使ってハーストを打倒することはできない。』とも言っていた。
*ウィリアム・ランドルフ・ハースト(英語: William Randolph Hearst, 1863年4月29日 - 1951年8月14日)は、カリフォルニア州サンフランシスコ生まれのアメリカの新聞発行人。新聞王と呼ばれた。アメリカの メディア・コングロマリット、ハースト・コーポレーションの創業者。映画『市民ケーン』のモデルとしても有名。ジョーゼフ・ピューリツァー(Joseph Pulitzer, 1847年4月10日 - 1911年10月29日)のライバル。
リップマンが論説主幹を務めるワールド誌と入れ替わるようにあらたなルースの雑誌 Time, Fortune, Life magazinesが生まれた。手法はハーストの手口と同じセンセーショナルな記事の捏造だった。リップマンの予言は的中した。そして南京虐殺を含むルース*によるこれらの捏造雑誌によって英語圏輿論は操作され日本はありもしない虐殺に現在に至っても中共支那に告発されている。
FDRの隔離演説**以来世界の敵は明白となった。メディアとプロパガンダはハーストの時代から経営上裏表の関係であった上に政治的プロパガンダが普通になった。黄文雄 『日中戦争知られざる真実』 光文社、2002年で一般に知られるようになった蒋介石の指示による1938年の黄河決壊事件は、日中戦争初期の1938年6月に、中国国民党軍が日本軍の進撃を食い止める目的で起こした黄河の氾濫であり、最終的に百万人死んでるが、既に世界のジャーナリストは、日本軍がやったという蒋介石のプロパガンダは鵜呑みこそしなかったが、記事とした。その成果を徐々に誇張してこの非軍事行為を人道に反することとしては蒋介石を非難しなくなっていた。
*米国出版王ヘンリー・ルース( (born April 3, 1898, Dengzhou, Shondong province, China—died February 28, 1967, Phoenix, Arizona, U.S.) American magazine publisher who built a publishing empire on Time, Fortune, and Life magazines, becoming one of the most powerful figures in the history of American journalism)ブライトン・ハッデンとともに24歳でタイムを創刊。中国生まれ宣教師の息子。優秀であったかが裕福ではなかったが故に、既存のエリート層に対する憎しみをもっていた。
** 隔離演説(かくりえんぜつ、英:Quarantine Speech)または防疫演説とは、アメリカ合衆国のフランクリン・ローズヴェルト大統領が1937年10月5日にシカゴで行った演説である。当時の米国において一般的であった中立・不干渉の政治的風潮に代わるものとして、国際的な「侵略国の隔離」を要求した。演説は米国の孤立主義的風潮を煽り、不干渉主義者や介入者による抗議を招いた。演説の中で特定の国が直接名指しされた訳ではないが、日本、イタリア及びドイツを指すものと解釈された[1][2]。ローズヴェルトは、強硬ながらもあからさまな攻撃よりは直接的でない反応として、経済的圧力の行使を提案した。
Former CIA Dir. Leon Panetta on anti-@POTUS dossier: "I've never seen Washington as rdysfunctional as it is." @TeamCavuto
1982年 出版時2100円 TBSブリタニカ
9,800円
高い古本だ。重版がなかったのか初版しか手に入らなかった。まだ上巻しか手に入っていない。
図書館も身近なところを渉猟したが、見つからなかったのでやむなく購入。
もっと早く読みたかった本。リップマンという複雑な人間に投影されたアメリカの19世紀から20世紀初頭にかけての混乱の複雑さ、特にウィルソン大統領の参戦演説による展開、第一次大戦参戦判断とその後の停戦処理。この過程で本当に有能な働きをInquiryでしていたリップマンはウィルソンがハウス大佐を遠ざけることで、パリで活躍の場を失い、ウィルソン大統領のヨーロッパ上陸と入れ替わり、ボスであるハウス大佐もウィルソン大統領の信任を失って本土に帰国してしまう。ジェームズ・パーロフ(馬野周二訳)『権力の影 外交評議会「CFR」とアメリカの衰退――アメリカ国際謀略の伏魔殿を抉る!』(徳間書店、1992年)によるとエドワード・マンデル・ハウス大佐は社会主義シンパ工作者であったことは既に常識である。
同上
A second, more controversial accusation against the Council is that it has been “soft” on Communism—so soft, in fact, that its members have often exerted their influence on behalf of the international Communist movement. This charge would appear untenable at first—considering that “the Establishment,” centered on Wall Street, is conventionally regarded as the antithesis of the radical left.
リップマンの理想主義とボルシェビキ贔屓はハウス大佐に都合の良い知性だった。のちにCFR設立にに先行する「大調査(Inquiry)」グループにリップマンは明確に参加している。第二次大戦後の処理についてもCFRは容共的であるばかりではなく、構成メンバーのGeorge Racey Jordanは、核兵器技術をソ連に流出させていたと供述。
ジョージ・レーシー・ジョーダン(1898年1月4日~1966年5月5日)は、アメリカの軍人、実業家、講演家、活動家、作家である。1949年12月、米国議会で戦時中のソ連へのレンドリース供与について証言し、ハリー・ホプキンスをはじめとする高官たちが核やその他の機密をソ連に渡していたことを明らかにしたことで、全米の注目を集めた。
George Racey Jordan (January 4, 1898 – May 5, 1966) was an American military officer, businessman, lecturer, activist, and author. He first gained nationwide attention in December 1949 when he testified to the United States Congress about wartime Lend-Lease deliveries to the Soviet Union, in the process implicating Harry Hopkins and other high officials in the transfer of nuclear and other secrets to the USSR.
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In 1944, Major Jordan returned to business, and although he had a sideline as a public speaker, he attracted little attention until 1949 when interest in Soviet nuclear espionage was at its peak. After President Harry Truman announced the first Soviet atomic bomb test, Jordan consulted his ledgers. He found that uranium, heavy water, other nuclear weapons related materials, and related schematics and papers had gone through Great Falls to the USSR. Jordan served in the Air Corps on United Nations duty from 10 May 1942 to spring 1944, being discharged from the service on 4 July 1944. At that time he did not understand the nature of many nuclear-related cargoes.
この10年間ほどのジャズ時代のアメリカ参戦の理想主義が、極端な反共保守主義に転換してしまう状況が、オバマ後のトランプ政権の有様によく似ている。戦争を終わらせるために参戦した理想にも関わらず、ヨーロッパの中心までバルカン化してしまった失敗は、ひとりウィルソン大統領のせいではないが、大きな責任があった。
その後の米国はウィルソン大統領の病床と禁酒法案の狂騒1920〜1931年というどうでもいい空回りをして、ナチスドイツの擡頭を許すまで、本当の政治を知るリップマンはいったいどんなジャーナリストであったのか興味深い。
リップマンの結論は、人間の啓蒙という理想主義とは真逆、客観的正確公正な輿論による民主主義など期待できない。やるべことは
『ひとりひとりの人間が公共の問題についてしっかりとした意見を持たなければならないという、実現性のない耐えがたい擬制』から人間を解放するという結論だった。
しかしながら、『ハースト*の手口を使ってハーストを打倒することはできない。』とも言っていた。
*ウィリアム・ランドルフ・ハースト(英語: William Randolph Hearst, 1863年4月29日 - 1951年8月14日)は、カリフォルニア州サンフランシスコ生まれのアメリカの新聞発行人。新聞王と呼ばれた。アメリカの メディア・コングロマリット、ハースト・コーポレーションの創業者。映画『市民ケーン』のモデルとしても有名。ジョーゼフ・ピューリツァー(Joseph Pulitzer, 1847年4月10日 - 1911年10月29日)のライバル。
リップマンが論説主幹を務めるワールド誌と入れ替わるようにあらたなルースの雑誌 Time, Fortune, Life magazinesが生まれた。手法はハーストの手口と同じセンセーショナルな記事の捏造だった。リップマンの予言は的中した。そして南京虐殺を含むルース*によるこれらの捏造雑誌によって英語圏輿論は操作され日本はありもしない虐殺に現在に至っても中共支那に告発されている。
FDRの隔離演説**以来世界の敵は明白となった。メディアとプロパガンダはハーストの時代から経営上裏表の関係であった上に政治的プロパガンダが普通になった。黄文雄 『日中戦争知られざる真実』 光文社、2002年で一般に知られるようになった蒋介石の指示による1938年の黄河決壊事件は、日中戦争初期の1938年6月に、中国国民党軍が日本軍の進撃を食い止める目的で起こした黄河の氾濫であり、最終的に百万人死んでるが、既に世界のジャーナリストは、日本軍がやったという蒋介石のプロパガンダは鵜呑みこそしなかったが、記事とした。その成果を徐々に誇張してこの非軍事行為を人道に反することとしては蒋介石を非難しなくなっていた。
*米国出版王ヘンリー・ルース( (born April 3, 1898, Dengzhou, Shondong province, China—died February 28, 1967, Phoenix, Arizona, U.S.) American magazine publisher who built a publishing empire on Time, Fortune, and Life magazines, becoming one of the most powerful figures in the history of American journalism)ブライトン・ハッデンとともに24歳でタイムを創刊。中国生まれ宣教師の息子。優秀であったかが裕福ではなかったが故に、既存のエリート層に対する憎しみをもっていた。
** 隔離演説(かくりえんぜつ、英:Quarantine Speech)または防疫演説とは、アメリカ合衆国のフランクリン・ローズヴェルト大統領が1937年10月5日にシカゴで行った演説である。当時の米国において一般的であった中立・不干渉の政治的風潮に代わるものとして、国際的な「侵略国の隔離」を要求した。演説は米国の孤立主義的風潮を煽り、不干渉主義者や介入者による抗議を招いた。演説の中で特定の国が直接名指しされた訳ではないが、日本、イタリア及びドイツを指すものと解釈された[1][2]。ローズヴェルトは、強硬ながらもあからさまな攻撃よりは直接的でない反応として、経済的圧力の行使を提案した。
Former CIA Dir. Leon Panetta on anti-@POTUS dossier: "I've never seen Washington as rdysfunctional as it is." @TeamCavuto