公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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切り取りダイジェスト 2022/02/08 大正8年 1919年という特異な年

2022-02-08 08:01:00 | カウンター・グレートリセット
第一次大戦の後始末が終わり、できたばかりの革命ロシア(1922年からソ連)が不気味に存在感を増し、地政学上の利害をめぐる国際主義運動が世界連動を始めた年である。まだ実現していないビジョンが世界中の指導者の脳裏に先行していた。イメージが脳裏にあるということが世界を大きく変えた証拠の年。アドルフ・ヒトラーが政治活動を始め、後にナチスに合流する右派 青年ドイツ・ブントが結成され、コミンテルンが結成され、ポール・ウォーバーグによって米国手形引受業審議会が設立された年、ハウス大佐の投資レポートが提出された年でもある。
 
1919年はいろいろと面白い年である。後の昭和天皇、皇太子裕仁親王(18歳)成人の年である。『改造』創刊の他、国粋主義の雄北一輝(36歳)が大川周明(33歳)らによって「日本改造法案大綱」の草稿段階の『国家改造案原理大綱』を運ばせたのが、大正8年1919年だった。中村天風(43歳)が東京実業貯蓄銀行頭取の席あって、本当の自分に気づいて、急につまらなくなって上野や芝で辻立ち演説を3か月始めるのも大正8年1919年6月8日のことであった。28日、パリ講和会議ベルサイユ条約調印。出光佐三(34歳)が南満州鉄道に「2号冬候車軸油」を無償で提供。した年であり、杉山茂丸(56歳)が政府に九州+対馬+朝鮮海底鉄道を建議。一方、世界をかき回すことになるまだ若きアドルフ・ヒトラー(30歳)は
Wiki 1919年4月13日にはオイゲン・レヴィーネによって共産党主導のバイエルン・レーテ共和国が成立した。4月15日にヒトラーはレーテの評議員に立候補しており、19票を獲得して当選している。はじめての演説に「私は演説することができた」と回想 ドイツ労働者党(DAP)DAPの中に鉄拳団ヒトラー派を形成 Wiki
国家主義も国際主義も同じ、自己都合による世界領土の再分割を説いていると言う意味では地政学上コインの裏表である。

1919年は国際主義を紐解くうえで面白いし、私の主張が的を外していないこと、だれもがピンとくるだろう。

そしてCSISの草創にも前身組織「ジョージタウン大学戦略国際問題研究所」イエズス会の国際主義的役割のヒントが隠されている。
以下参考
以下の写真は日本におけるウォルシュ神父とマッカーサー連合軍総司令官。相変わらず当時すでに存在していなかったフィリピン軍元帥の軍帽を被って規律違反している。マッカーサーは虚構の権力者である。
 
「ジョージタウン大学戦略国際問題研究所」は、イエズス会神父エドマンド・アロイシャス・ウォルシュ(Edmund Aloysius Walsh、1885年10月10日 - 1956年10月31日)が、1919年に同大学内に創った「エドマンド・A・ウォルシュ外交学院」が改組されたものである。ウォルシュは地政学カール・ハウスホーファーの弟子であり、その学問をアメリカに移植することを目的とした組織であった。
 


 

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